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無言館での問答

 そこに訪れたのは晴れた日でしたが、昨年の台風による千曲川の氾濫によって鉄橋が半分崩落しており、一番近い列車の駅にはバスでの代行運転での行程でした。畑を抜けて山の中腹に位置する場所に、無言館はありました。コンクリート色むき出しの建物には、「戦没画学生慰霊美術館」と書いてありました。入り口らしき黒い扉を開けても受付はなく、中はひっそりとしていて、ほとんど人影はまばらでした。薄暗い館内に、存在感のある絵が突然に迫ってきます。戦地に向かった画学生の絵を集め、無言館を創設した窪島誠一郎氏の詩を読むと、共通の深い鎮魂と慰霊への思いが訪れる人の心に突き刺さります。


 あなたを知らない

遠い見知らぬ異国くにで死んだ画学生よ
私はあなたを知らない
知っているのはあなたが遺のこしたたった一枚の絵だ

あなたの絵は朱い血の色にそまっているが
それは人の身体を流れる血ではなく
あなたが別れた祖国のあのふるさとの夕灼やけ色
あなたの胸をそめている父や母の愛の色だ

どうか恨まないでほしい
どうか咽なかないでほしい
愚かな私たちがあなたがあれほど私たちに告げたかった言葉に
今ようやく五十年も経ってたどりついたことを

どうか許してほしい
五十年を生きた私たちのだれもが
これまで一度として
あなたの絵のせつない叫びに耳を傾けなかったことを

遠い見知らぬ異国で死んだ画学生よ
私はあなたを知らない
知っているのはあなたが遺したたった一枚の絵だ
その絵に刻きざまれたかけがえのないあなたの生命の時間だけだ

窪島誠一郎 一九九七・五・二(「無言館」開館の日に)無言館ホームページより

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 ここには家族への思い、愛する人への思い、自分の全ての思いを絵に遺して、帰らなかった画学生たちの命の燈が展示されていました。窪島氏は、「この世から彼らの絵がなくなるまで、彼らの魂は生き続けている」と言います。肉体は亡くなっても、絵の中で魂は生き続けているということです。召集令状を受け取った学生が最期に何を描くのか。答えの出ないこの問いを、戦争が遠くなった私たちにも伝え続けます。この問いはつまり、

「あなたはどう生きたいのか」

「あなたの命は何のためにあるのか」

「あなたは誰を愛するのか」

そういった根源的な問いかけでした。

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 外に出ると、「開かないポスト」と書いてある白いポストがありました。『平和への願い 夢 誓い・・・あなたの「今の言葉」をご投函ください。このポストのまま永久保存されます』と書かれていました。​決して開けられることのないポストに私たちはどんな手紙を入れれば良いのでしょうか。少なくとも、未来に戦争があってはならない。平和であって欲しい。多くの人がこの無言館を訪れることで、平和というバトンを渡す次の走者になるべきだ。そんな風に思いました。

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 その横にはメールボックスのモニュメント。赤いペンキは、現場では何の説明もなかったので理解できなかったのですが、あとで調べると、言論の自由を象徴しているのだと知りました。

 無言館では毎年成人式が行われます。これまでもジャーナリストの池上彰さんや俳優の樹木希林さんたちが、成人になる若者に直筆の手紙を手渡して門出を祝ったそうです。20歳の方はぜひここで成人式を迎えるべきです。


無言館では、

自分を見つめる問答が静かに始まり、

そして厳かに継承され続けているのです。

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