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新しいことを始める怖さ

なにか新しいことを始めようとして恐怖や不安に苛まれたこと、ありますか?きっとないっていう人の方が珍しいんじゃないかな。
うまくいく自信が持てない、失敗したらどうしよう、これは間違った選択なんじゃないか、まだその時ではないのではないか。細いレールの上を踏み外しそうな不安感、今立っている場所が揺らぐ感覚。始めようと考えたことすら後悔しそうになって、ああ、やめておけばよかった。今から引き返せるだろうかと後ろを向きだす。
けれど確実に言えることは、踏み出さないと変化は生まれない。
みなさんはそういうとき、どうやってその先の一歩を踏み出していますか?

先日とあることから「人が成長する」ことについて考えていました。
成長の成功モデルは、目標設定→達成のサイクルを継続的におこなっていくことだけれど、果たしてどのくらいの人が自分の目標を正しく設定し、それを達成できるものだろう。自分のたてる目標は、自分が達成しやすいものになるのだろうし、いつまでたってもその人の枠を超えず、それは成長とは少し違う。
ならば、ある程度のプレッシャーがある環境こそが、人が成長する環境なのではないか。
例えば今の実力を少し超えたような役割であっても、その役割を仕方なしに引き受けこなすうちに、その仕事の面白さがわかってくることはある。例えば1年では見えなくても2年立った頃に見えてくるとかね。
最初の一歩を踏み出せないと自分が思っても、他の人の目からみて「できる」と思われたのであれば、きっと超えられる素地はある。怖くて不安であっても、踏み出さないと何も変わらないのだし、ハードルがないことを踏み出しても人は成長しないのだから、それは自らの成長のチャンスと捉えられるのが・・正しいのだと思う。

はい、正論ですね。
でもね、そんな正論言われても困りますよね。
わかります。私ももともとヘタレなので(笑)、期待されたりプレッシャーがあるのってすこぶる苦手です。大学受験では、ひとりで自意識過剰にプレッシャーにやられて、さっぱり何もできなかった経験があります。美大で石膏デッサンするのに、木炭で画面一面グレーになったわ。いや、自意識過剰にもほどがあるね。あの時、それを報告した時の予備校先生の冷たい目は忘れられない…(泣)
けれど、いつの間にかそれほど「はじめの一歩」に躊躇することはなくなってきたように思う。プレッシャーにも強くなった。

先日「ブログも、書いて毎回不安になる。発信する怖さってある」そんな話をしている時に、「どういう気持ちで送信ボタン押すんですか?」と言われて、とっさに「だって仕方ないじゃない。」みたいな答えをしたんだけど、要は私は、ある程度のところで「諦める」技を身につけたのだと、思う。

2つ、好きなことわざがあります。
その1つは「小人閑居して不善をなす」というもの。
これは「つまらない人間が暇でいると、ろくなことをしない。(デジタル大辞泉)」*諸説あり
という意味なんだけど、つまらない人間=凡人としてとらえていて、わたしはよくことあるごとに自分に照らし合わせる。
つまり、あんたなんぼのもんじゃい、と。
最初の一歩そ踏み出せずに躊躇する時、自分に言ってみる「あなた、何を守ってるんですか」って。
何もせず今のままで変わらずにいて、あなたはそんなに完成された人間でしたっけ?違いますよねって。
失敗するのが怖い、うんいやそうなんだけど、いままでだってたくさん失敗してきたんだし、いまさら何をいってるのか。仕方ないじゃない、失敗したって。小人閑居して不善をなす。何もしないでいたってろくなことしないなら、何かしてみるしかないじゃない。
閑居して不善をなすなら、何かして不善の方がまだ収穫があるかもしれないじゃない。
そんな風に自分の背中を押すことにしている。

人には人のやり方があると思うけれど、きっと何かを始める人は自分なりの方法を見つけられている人だと思う。誰だって初めてのことは怖いし、不安もあるのだけれど、自分を守ること以上に自分を試練に押し出すこと。
それも大切なのだから。

ちなみに2つあるうちのもうひとつの好きなことわざは
「七転び八起き」
これは小学3年生で違う小学校に転校する時に、担任の市川先生が私にくれた言葉。
不器用で失敗ばかりする私が、そのあとの学校生活の間なんども思い出し、この言葉に支えられてきました。
転んだって、また起き上がればいいんですよね!

★2019年10月21日の記事再掲載です

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