解錠

 冷たいドアノブに体温を奪われるようだった。
 非常口を示す緑の光が漆黒から浮かび上がるようだった。
 白い廊下の先にある扉を開けようとすると今まで居なかったはずの猫の声が背後からする。
 病院に飼い猫?
 振り返ると黒い猫がもう一度鳴いて壁へと消えていった。
 突然の知らせに動揺して気まで触れたのか。
 扉を開けるには勇気が必要だった。
 心臓が握られている。胃がきしむ。手が冷えてくる。
 ドアノブを掴んだまま動けないでいる。
 扉の前で凍り付いていると黒猫がふっと現れて扉の奥へと走って行った。
 追いかけようと咄嗟に扉を開ける。
 黒猫などいなかった。
 いなかったが、白い布に覆われたベッドの上の人型。
 そして泣きもせず振り返る母。医者と看護師。
 刃渡り21cmの刺身包丁で心臓を一突きされたのが致命傷だと言う。
 正確に心臓に刺さっていることから、通り魔とは考えられないと医者は言った。
 母は何も言わず、前々からわかっていたかのように冷静だった。
 そこに横たわっているのは本当に父なのだろうか。
 白い布に覆われているのは別人じゃないだろうか。
 それから遠くから自分を見ているかのように事は過ぎた。実感がわかない。通夜には仕事の関係者は一人も来ず、友人知人も一切作らなかった父は両親も先立っていたことから母と私だけの葬式になった。
 後日男性二人が仏壇に焼香をしたいと訪ねてくる。父の遺影の前に非常に分厚い封筒を二つ。「警察官です」と名前を名乗り「大変お世話になりました」と言い帰った。
 その時猫の一鳴きが外から聞こえた。
 どうやら父は公安でスパイを探る仕事をしていたらしいことを初めて知った。

あたたかなお気持ちに、いつも痛み入ります。本当にありがとうございます。