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対キューバ米国経済制裁とは。

こんにちは

さて、米国経済制裁を取り除け!とわめいている私ですが、では60年以上もキューバを苦しめて続けている米国の経済制裁とは具体的に何なのか。簡単に説明したいと思います。これを知らなければ、良かれとやったことが逆にキューバ人の友達を大変厳しい状況に陥れてしまう場合があります。私は、キューバ人の友達が、スペイン人として開設した口座(スペインの政策により、スペイン国籍を認められているキューバ人は少なくありません)に、振り込みをした際に、そうだとは知らず彼のキューバの住所を振り込み用紙に記入し、彼の口座が凍結されてしまったことがあります。
今回と次回、2回に分けて経済制裁について書きたいと思います。この投稿を書くにあたり参考にさせていただいたのは、後藤政子先生の「キューバ現代史」と上英明先生の「外交と移民」です。また、一部しか写りませんでしたが、上記の制裁法のリストはJETROの「キューバの政治・経済の概況とビジネス機会」の引用です。

米国のキューバ封じ込め政策が始まったのは1959年革命直後の1960年です。これまでキューバの砂糖の90%を輸入していた米国が、キューバ革命政府の進める農業改革に反対し、キューバからの砂糖の輸入を削減すると威嚇、キューバはその他の国々との貿易を強化し、ソ連と貿易協定を結びました。それを受け、米国は果実輸入の禁止を発表。砂糖の全面禁輸に向けて動いたのです(対外援助法)。そして、石油の輸出も禁止。さらにそれまでキューバで原油を精製していた米系企業に、ソビエトから入る原油の精油を行うなと命じました。これに対抗し、キューバは米系原油精製会社を国営化、その後次々と外国企業を国営化していきました。
これを受け、1961年に米国は外交関係断絶、1962年2月には対キューバ全面禁輸をとりました(大統領告示3447号、敵国通商法の対象に指定)。これらは、米国―キューバ間の人・物・金の移動を完全に禁止しました。
革命前、ほぼ米国の保護領として、砂糖モノカルチャーの経済を進め、食料等物資のほとんどを米国からの輸入に頼っていた国において、それは命綱を切断するような政策でした。その命綱をつなぎとめる条件を提示してきたもう一つの覇権国ソビエト連邦に頼る他、キューバに選択肢はなかったと言えます(そのような冷戦下の国際秩序をチェ・ゲバラは痛烈に批判しました)。
しかし、ソビエトの寛大な支援も、1980年代末から継続が困難になります。1980年代末、キューバの貿易の80%は社会主義国と、うち60%はソ連とでした。ソ連解体後、とんでもない経済危機に見舞われたキューバは様々な改革を行いましたが、物資不足の下で、部分的な経済の自由化を進める政策は、腐敗、不正、の横行を呼び、経済情勢の一層の悪化を招きました。そして、アメリカはチャンスとばかりに経済制裁を強化したのです。
1992年トリチェリ法を制定、米国企業の海外支店からのキューバ取引禁止、第3国からキューバに入った米国人に対し刑罰を問えるようにし、キューバ人亡命者(この言葉は政治的に利用されることが多いので、あまり使いたくない言葉です)のキューバ送金禁止などが決められました。
さらに1996年のヘルムズ・バートン法(キューバの自由と民主連帯法)では以下の制裁を加えたのです。
(ア) キューバに寄港した船舶は180日間米国への入港禁止。
(イ) 第3国の対米輸出制限。たとえばヨーロッパで生産されたチョコレートにキューバ製の砂糖が使われていたら、米国に輸出できない。日本車はキューバ製のニッケルが使われているかいかなについて米国財務省に報告書を提出しなければならない。キューバを通過した製品(キューバに寄港した船の積み荷)は、キューバ製のものが入っていなくても米国に輸出できない。
(ウ) 逆に、第3か国で生産していたとしても、その中に10%でも米国生産のものが入っていたら、キューバに輸出できない。(たとえば、キューバに売る医療機器の一部品に米国製の電子機器やレンズなどが使用されているものをキューバに売ってはいけない)。
(エ) 第3国企業のキューバ進出禁止。ヨーロッパやラテンアメリカの企業はキューバと貿易したり、投資したりすれば高額の罰金を科される。決済のために銀行口座を開設すれば閉鎖を要求され、従わなければ米国との取引に支障が生じる。これは企業だけでなく、個人も同様。2000-2006年米国内で制裁法違反で国に提訴された件数は、1万1000件。第三国企業に対し調査が行われたのは7000件に上る。
(オ) 貿易投資以外にも、何らかの関係をキューバと持てば、米国の援助停止や、債務返済交渉の停止などを覚悟しなければならない。途上国はUSAIDの停止をおそれ、キューバとの取引を行わない。
(カ) 1959年以降にキューバに接収された米国の資産に関係する投資を行った場合、その企業の責任者だけでなく、妻子もまた、共同出資者も米国に入国できない。米国に滞在してる場合は強制退去させられる。実際ホテル系列MELIAの代表がその対象となった。裁判にもかけられる。

更に、2004年には、キューバへの送金制限は一回300ドル、年間4回まで、ただし2親等までに限る。移民の里帰りも3年に一度、一回2週間まで、滞在費は一日50ドルまでなど、家族送金への制裁に強まりました。
オバマ政権下、2015年7月に国交回復後、大統領権限の中で段階的に緩和できる部分は、緩和が進められました。しかし、わずか数年後、トランプ政権はオバマ政権が行った段階的緩和をすべて覆しました。

次回はこれらの制裁がキューバの外交や、第3国とキューバの関係にどのような影響を与えているのか。また、経済制裁の他に、米国がキューバに対しどのような圧力をかけ続けているのかを書きたいと思います。

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