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息子を抱いて泣けた昼下がり

私はずっと泣けないでいた。
うれし涙は流せても、つらいこと、悲しいことで涙を流すことはほとんどなかった。そのための涙腺にはカギがかかっているようだった。たしかに、ひじょうに、つらく悲しいことでも今までゆるむことはほとんどなかった。

今日は日曜日。保育園はお休みで朝から息子と過ごしていた。
お昼ごろ、好きな自動車の動画が見たいとせびり、でも大あくびの連発で明らかに眠いのであろう。やりたいことと眠気が混じって自分でもワケが分からなくなる2歳児特有のかんしゃくを起こし始めた。2歳児の本能炸裂。

「絵本読もっかー」

と促すと、なんとか「うん」と半べそながらも応じてもらえた(ホッ)。

「どの絵本にするー?」
と聞くと、珍しく初めての絵本を指さし、「それ」と答える。
その絵本は私がまだ妊娠するうんと以前、旅行先で〝絵がキレイだから〟と買った本。2歳の息子には「まだ早いかな」と思い読んでいなかった。

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選ばれたその本を読むことにした。
男の子と犬が電車に乗っておじいちゃんのところへ遊びに行くというストーリー。うっかり忘れがちな日常の希薄さと、どんなにか人は、愛で包まれているものなのかを教えてくれる本だった。

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トンネルはいくつも続く。
だけど、どんなに暗くでも、必ず出口には明るい光が待っている。
「おじいちゃん、すぐにぼくのこと、こんなふうには抱っこできなくなるよ」
「空に、大地に、花に、キスしよう。
 草に、おじいちゃんに、プリンに、キスしよう。」
「ようし、ぼく、ちゃんと大きくなるよ」


絵本を読み終え、私は息子の頬にキスをした。
息子はにっこり笑って、両手を大きく広げて、

「抱っこ!」

と言った。
ツンデレな我が息子。歩き疲れた時や、不機嫌な時は抱っこをせがむものの、それ以外で求められるのは稀だ。
抱くと同時に、息子はストンと眠りに落ちた。

その瞬間、私の目から、涙があふれた。
こんな風に、私の腕の中におさまるサイズでいる期間は貴重だ。きっと、あっという間に大きくなって、すぐに、こんな風には抱っこできなくなる日がくる。

実は今、私にはとてもつらいことがある。それと向き合うのは大変だし、面倒だし、悲しいし、辛いし、そのことを考えることも、解決のために動くことも、とてもしんどい。ふさぎこんで、この私(整体師の)でも病気になってしまいそうだ。

けど、もしかしたら実は一番つらいのは息子かもしれない。まだしゃべれない分、思いを言葉で表現できない分、大人は気付けないけど、彼の意識はとても傷ついているのは、分かる。だけど、それでも、私たちはこの世に生を受けた以上、

生きていかなくてはならないし、
時間は、月日は、刻々と過ぎていく。

人前では何もないかの様に振舞える私だが、
息子はきっと、いや、ぜったいに察知している。

そして、実は私以上に傷付いているかもしれない息子なのに

「ようし、ぼく、ちゃんと大きくなるよ。」

とこの本を通して伝えてくれたのかと思うと、
泣けてきた。小さな体で、一生懸命、母を励ましてくれているのだと感じた。

そう思うと、腕の中ですやすや眠る息子を抱きながら、
涙がポロポロ止まらなかった。

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もう半年くらい、とても辛いことが続いていて、
状況は悪くなる一方どころか、これでもか、これでもかと、ひどいことが上乗せになっていく日々で

もうすっかり感覚が麻痺していた。
ストレス受信センサーがぶっ壊れて、本当は辛いのか?悲しいのか?怒っているのか?恐れているのか?

頭のリミッターは振り切ってしまい、よくわからなくなっていた。

長年の友人に、やっと最近話した時、ボロボロと涙を流された。
「なぜあなたが泣くの?」
「泣けない麗華ちゃんの代わりに泣いてるんだと思う」

そんな私に、今日は息子からのギフトだったのかもしれない。
これを機に、泣ける自分になれたらどんなにか楽か、と思う。

窓をあければ、新鮮な空気が入ってくるのを忘れ、
いつも笑顔でいれば、幸せがくるのを忘れていた。

そして、私は窓をあけて、
たくさんの新鮮な空気を吸い込んで、
いつも笑顔で生きていきたい。

息子と共に。


ママの涙を受け止めてくれて、ありがとう。

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「緩和ケア」と「産後ケア」。一見対極な存在と見られがちですが、両方を経験しそれらは近い存在であり、両方の重要性を心から訴えたい。これらの在り方捉え方の啓蒙、それらにお役に立てる活動をすることが私の将来の目標です。頂いたサポートはそのために使わせて頂きます!