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【漫画感想】銀魂 77(完結巻)ネタバレあり

休養中は漫画や本や映画を浴びるほど読みまくる、観まくるに限ります。

そんな中、忙しくてなかなか読めなかった、ずっと追いかけていた漫画「銀魂」の最終巻、77巻をやっとやっと読了することができました。

全360ページ。読了にはなかなか骨が折れました。だって台詞が多くて読み飛ばせないんだもの。数日かけてやっと読み切りました。

それにしても・・・・・・私がジャンプの編集者だったら、空知氏は漫画家として社会人としてアウトですね。ジャンプであと〇回で終わるって予告しておいて終わらない、締め切りも守らない。それで、ジャンプGIGAの締め切りも守らなかったり、ギリギリまではぐらかしたり。コミックスでは毎回この手の話が記載されているのですがさすがにここまでいくと嫌になります。

それが許される漫画家、作品、現場だと承知した上で読まなくては・・・と読んだ感想です。


とことんまで粘って各人「にしか言えない」台詞回しを一人一人、一つ一つ放っている

これが時間のなせるわざですね。最後だからこそ惜しみなく、とも言える。まあ、いつもすごい、とも言えるけど。

高杉の爆age

今までが反抗的な中二病キャラだったからなおのこと今回の「更正」が堪えます。最後には命も賭してしまう、先生以外で唯一。高杉好きにはたまらないラストでしょう。人気も常に2位や周辺をキープしていたから反感を買うこともそんなにないかと。和服も華があって、おかげで最終巻は艶やかでした。銀さんと一緒に「誰か」が戦う必要があったと思うけど、そこそこ順当な人選だったかと思いました。話の流れ的にも、松陽の関係者だしね。

他キャラの必然性~坂本辰馬の場合~

銀魂は出てくるキャラがあまりにも多すぎることもあって、非常にいっぱいキャラが出てきて、その中には人気キャラや、ファンの期待や信頼を秘めたキャラというのも数多くいました。私が一番好きだった「坂本辰馬」もそんなキャラの一人でした。名前の通り、坂本龍馬がモデルとなったキャラで、軽い歴オタの私はそこにも惹かれました。

しかし・・・・・・そういうキャラがことごとく、解説要員だったり、最後の大団円でぽっと出要員に成り下がって、出る必然性が減ってしまうことも、多かったように思うのです。

辰馬の場合は、「攘夷4」として銀時、高杉、桂とともに四人でひとつ的な扱われ方が多くて、それで表紙も飾っていて、今回の最後の戦いも辰馬もついていくよね?と思っていたけれど、(恐らくは松陽先生との絡みがないから)行けず。このような場面が以前から続いていて、空知先生も辰馬を攘夷4に入れたことを後悔していたりして・・・・・・ってくらいふがいない扱いです。実写化がさらに進んだら福田監督に「いなかったもの」扱いされて登場できないかも・・・・・・(涙)

辰馬をたまたま例に出しましたが、銀魂ファンで「自分の好きなキャラがいつの間にか空気になってた」と嘆く人は結構いるんじゃないかと。

真選組さえ蚊帳の外になったのはちょっと

話の肝である、松陽先生との対決で、銀さんと高杉(と桂)だけが行ったのも個人的には結構ポカーンでした。

銀魂って万事屋と真選組がいてこその漫画でしょ?この二組から始まったんじゃないの??

大人になったかならないかの新八と神楽が蚊帳の外になるのはまだわかるとしても(でも主人公の一番の身内じゃないの?)真選組まで警備で置いてけぼりになるとは・・・彼らにしちゃ松陽先生は知らない人なんでその辺は仕方ないにせよ、近藤、土方、沖田も主役級の扱いされていたよねえ・・・・・・?確かに最後には新八、神楽、近藤、土方、沖田も混じってたけど。

たった二人(三人)が行ったことで、松陽先生をめぐる心理戦がくっきり見えた反面、こういった「銀魂」という作品の屋台骨ともいえるキャラをないがしろにしたのは弊害だったと思います。

多分これ以上の落としどころは難しい

松陽先生がラスボスというかキーマンで、彼は銀魂のキャラのうちごく限られた数人としか面識がないから、つながりのない人は入りきれない、入ってこられないという難しい状況が生まれてしまいました。

その一方で、松陽先生が目覚めた際に皆が申し訳程度に総集結したのも「いかにも」感があって・・・・・・うーんどうすればよいのか。

多分これ以上の、これ以外の落としどころは難しいのではないかと。松陽先生をラスボスにするのなら。もっとみんなが参加できる敵や災厄を選べばこういう問題にはならないんだけど。

ところで、その過程で、いらないキャラ、中途半端に目立ちだしたキャラもいたけど、逆に言うとそういうキャラも平等に目立たなくなったことで淘汰された印象もあります。(極めて個人的に名前を挙げるなら、月詠とか信女とか・・・・・・)

朧は、その最たるものかと思っていましたが、最後にものすごい重要な役割をもっていきましたね!

トータル360ページをかける意義があった

延々360ページも何やってんだろと冗長なきらいもありましたが、松陽先生VS高杉のあたりからのめり込めるようになりました。

時間にページ数をかけられる分だけ、キャラ一人一人に愛情と思い入れを(作者の、読者の)込めて一場面一場面構成して描いていくことができたのではないかと感じました。読んでいてじわじわと、それが伝わってきました。

この作品には、作者には、360ページが、一年が、確かに必要だったのかもしれません。この大きな物語と大きなラストをここまでやり切るためには。

GIGAに行く少し前の、笑いとシリアスのごちゃ混ぜ展開は正直ウザく、いらない、笑えない、と思っていたので、とことんまでシリアスを突き詰めた後で、最後の最後にコメディ全開、とぱっきりやり分けてくれて非常にスッキリしました。

(参考)押見修造「ハピネス」と一緒に読んでみよう

私は長いことずっと松陽先生の死生観(私を殺してくださいとずっと言いながら人をたくさん殺してる)がなかなか理解できませんでした。いつもヒューマンもの、ラブストーリーばかり読んでいるので、あまりSF的価値観の物語を読んだことがなくて。

今、たまたま、押見修造「ハピネス」を並行して読んでいたのですが、それが松陽先生の死生観を理解する助けになった感じがありました。他に「ジョジョリオン」とか「ライフ」なんかも読んでいました。要はどうしようもない絶対的な悪人、生きていることが許されない存在というものがある、あり得るということ。

私みたくSF慣れしていなくて共感できなかった人はぜひ試してみてください。


やっと感想書き終えました。

本格的な考察サイトとか行ったらもっと難しくてもっと細かくてもっと正確なことが書いてあるから(今回一切そういうものは見てません)より精緻な感想を求める人はそっちに行ってください。

は~、やり終えた。

大きな作品と向き合うときは感想書くだけでエネルギーと文字数がかかるものですね。

空知先生、お疲れさまでした、ありがとうございました!!!

次作ではどのような方向性に進むのでしょう?今からそれも興味深いです。

いつの日か小説や文章で食べていくことを夢見て毎日頑張っています。いただいたサポートを執筆に活かします。