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【エッセイ】ほんとうの名前

 本名とはまったく関係のないあだ名で呼ばれることにあこがれている。
 諜報員のコードネームみたいでかっこいい、というだけの理由ではない。
 以前から、出先なんかで呼びかけられたときにまわりの人に名前が知れることが嫌だと思っていた。そこに、名前を知られると悪いものが憑りつくことがあるため、本名を他人に教えないという文化があるのを知ってしまった。
 私にはとりたててあだ名というものがない。たいてい下の名前にちゃんやさんをつけるか、頭文字にちゃん付けで呼ばれる。それもあって、名前を類推できないあだ名がある人がうらやましいと思う。

 近所にチャーさんという人がいる。
 みんながチャーと呼ぶものだから、私もその人のことをチャーさんと呼んでいた。しばらくたって本名を知ったとき、その名前のなかにはどこにも「チャー」の要素がなく、困惑したのを覚えている。
 このあたりでチャーさんといえば、みんながその人を思い浮かべるのだが、なぜその名で呼ばれているのかを知る人には出会ったことがない。かといって、本人に直接聞くわけにもいかない。チャーさんとは親子ほども年が離れているうえに、何度か事務的な言葉を交わしたことがあるきりだ。
 これほど世間に浸透したあだ名を持つ人もめずらしいだろう。そのあだ名がちょっとコミカルなのもまた、たまらなく良い。これからも私は彼をチャーさんと呼び続ける。
 しかし、本人にチャーさんと呼びかけてしまわないように注意しなければならない。チャーさんのあだ名の来歴は、私の人生最大の謎のひとつである。

 自分にこれといったあだ名がないものだから、飼い犬を変な名前で呼ぶことが多かった。例えば「にゃんぴー」「ぬこ」といった具合である。
 前の前に飼っていた犬のことは、「おじ山」と呼んでいた。はじめは「おじ山田」だったが、省略しておじ山になった。おじさんのおじに偽名っぽい山田でおじ山田。
 私がおじ山と呼びはじめると、家の人たちもそう呼ぶようになった。もちろん本名で呼ぶこともあったし、時には「おじさん」や「山田」と呼ぶこともあった。茶色いオス犬で、困ったような顔で鼻をうーんと鳴らしながら草むらや日向に寝転がっている姿がおじさんそのものだった。
 居間で姉とおじ山の話をしていたら、玄関で来客の対応をしていた母が急いで部屋に入ってきたことがあった。「ちょっと、静かにしてよ。今来てる人山田さんっていうんだから」
 ありふれた名前は、同じ名前の人に被害が及ぶ可能性もあるので注意が必要だ。
 おじ山と呼ばれることを、彼はどう思っていたのだろう。呼べばちゃんとこちらを向いて、しっぽを振り、私の手に顔を寄せてくれたおじ山。
 彼のほんとうの名前はチョコと言った。

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