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【エッセイ】ウインク、あるいは人助け

 対向車からパッシングをされてハッとすることがある。
 たいていはぼんやりとしていて、漫然とアクセルを踏んでしまっているようなときだ。
 パッシングされるとまずアクセルから足を離し、じんわりと減速する。そうして速度が落ちたころに、物陰に隠れてこちらをうかがっている人や車を見つける。その横をゆっくりと通り過ぎたところで、やっとやれやれと息をつく。
 このヘッドライトの目配せに、何度救われたことか。普段からそれほどスピードを出すほうではないが、40キロ制限の区間などでは少しばかり出すぎてしまうときもある。間一髪で難を逃れたときは、心臓が早鐘である。
 動体視力があまり良くないので、パッシングに気を取られ、目配せしてくれた相手の顔を確認できないことが多い。心の中で「せめてお名前だけでも…」とつぶやきながら、懇ろにお礼をすることしかできない。そして他人を救う心意気への感謝のあまり、しばらくはその運転手に恋でもしたような気になってしまう。まさにヘッドライトに心を射抜かれた状態だ。
 そう考えると、パッシングはウインクに似ている。通りすがりにウインクをされてドキドキする私。その相手が命の恩人だったと気づき、振り返ってももうお礼を言うことさえできない。一期一会ってやつだ。
 これまで見ず知らずの私にパッシングをしてくれたすべての人にお礼を言いたい。そうして、自分も誰かにパッシングをしてあげたい。助けてくれた相手に恩返しができない以上は、自分もほかの誰かを助けることがその恩に報いることなのだ。
 自己満足と言うなかれ。
 これは車を運転する者同士の仲間意識であると同時に、壮大な人助けの話なのだ。

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