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困窮する子どもたちを知り、自分の傲慢さに気付かされる…丸山正樹『キッズ・アー・オールライト』藤田香織さんによる書評を特別公開

 身体障害者を主題に扱ったエンタメ小説『ワンダフル・ライフ』が2021年読書メーターofTheYearを受賞。代表作のろう者を主題に扱ったミステリ『デフ・ヴォイス』シリーズ、介護士の成長を描いた『ウェルカム・ホーム!』などが話題の、社会の「見えない存在」を凝視する俊英・丸山正樹さん。新作『キッズ・アー・オールライト』は、日本社会から疎外される日系ブラジル人の少年とヤングケアラーの少女の葛藤と同時に、そこにコミットしようと奮闘する大人の存在を描いています。書評家・藤田香織さんが、本作と丸山作品を読み解いた、「小説TRIPPER」2022年秋季号掲載の書評を公開します。

丸山正樹著『キッズ・アー・オールライト』(朝日新聞出版)

「絆」という言葉を見聞きした際に、美しさよりも息苦しさを感じることはないだろうか。
 特に「家族の絆」は、取り扱いに注意が必要だ。その褒め言葉は牽制ではないか。その献身は犠牲ではないのか。はた目には見えない鎖が、じわじわと誰かの首を絞めつけているのではないか。そんなことは考えたこともない、というのであれば、本書『キッズ・アー・オールライト』を手に取って欲しい。
 家のために、家族のために、親や弟妹のために、自分を犠牲にし、いや犠牲にしているという自覚さえないまま毎日を過ごし、少しずつ歪み壊れていく子供たちが、今、この日本に多くいることをどう受け止めるのか。考えたこともないことを、考えるときが来ている。

 物語の中心となるのは、二年前から名古屋でNPO法人「子供の家」の代表を務める河原剛志。「行政にはできないことをする」をモットーに、いじめ、虐待、差別、貧困、ひきこもりなど、子供の人権が侵害されるすべての場面に積極的に介入しているが、コロナ禍で運営資金の寄付は減り、にもかかわらず子供たちを巡る問題は増え続けていた。
 そんなある日、河原はスタッフのひとりから、ツイッターで気になる書きこみを見つけたと報告を受ける。目を通すと名古屋市内在住の女子高生と思しき「Nigori」が、〈しにたい〉〈このままだとあたし おばあちゃんころしちゃうかも〉などの呟きを重ねていた。
 一方、鳶の親方として働きながら、パパ活などで稼ぐ少女たちやストリートチルドレンの面倒を無償でみている「シバリ」こと富岡悟志は、見覚えのある暴走族の下っ端二人が小柄な少年に罵声を浴びせながら蹴り上げているところへ出くわす。暴力を振るう二人は、見たわけではないが、少年がバイクの部品を盗もうとしていたのだと主張し、「ガイジンはエゲツないすからね」とシバリに言った。
 河原はNigoriの、シバリは「ガイジン」と呼ばれていた少年=ダヴィの事情を把握するため其々動き出していくのだが、その過程で明らかになるNigoriとダヴィの置かれた現実に、読みながら胸が苦しくなる。
 ツイッターでNigoriと名乗っていた神崎真澄は、認知症のすすんだ祖母の家に同居し、両親も姉も健在にもかかわらず、ひとりでその生活を支えていた。子供の頃から祖母が好きだったという真澄は、自分が面倒をみるのは当たり前のことだと語る。日系ブラジル人の少年ダヴィは、年齢的には中学生だが、学校には行っていない。日本で生まれたダビィは流暢な日本語を話すが、見た目は「ガイジン」だ。コロナ不況で一家は離散。自分で稼がなければ生きていけない。けれど学校にも通っていない中学生が、まともに稼げる仕事など、ない。
 リアル社会においても、顔に殴られたような痣がたえず、見た目や言動から明らかにネグレクトされていると分かる子供たちでさえ、他人がその事情に踏み込むことは容易ではない。学校や児童相談所でさえ、できる限り目を逸らしていたいんだろうな、と感じることも多い。真澄のように高校生にもなり、自ら進んで祖母の世話をしているのだと語る少女に、それ以上踏み込み手を差し伸べる必要なんてないのでは?と思う人もいるだろう。誰だって、余計な揉め事に巻き込まれたくはないのだ。
 まして日本にやってきた「ガイジン」の、ろくに学校も行っていない子供に、なにをしてやれるというのか。実際にダヴィのような状況にある子供を見かけたとして、果たして自分にできることなどあるのか。グルグルと頭のなかで考えずにはいられなくなる。
 同時に、次第に明らかになっていく、河原とシバリ自身の過去と現在についても考えさせられる。河原にもシバリにも、掛け替えのない絆があり、断ち切りたい絆があった。となれば、当然のように、そうか、だからこそ同じような困難を抱えた子供たちを救うべくここまでのことができるのか、とも思えてしまう。
 けれど同時に、そうして他人事として一線を引く自分の傲慢さにも気付かされるのだ。これが痛い。
 思えば、昨年刊行された著者の『ワンダフル・ライフ』も同様の衝撃を受けた。事故で頸椎を損傷し、重度障がい者となった妻を自宅で介護する五十歳の主人公をはじめ、其々にままならぬ事情を抱えた四組の男女を描き、大いに話題となった長編だが、自分は登場人物たちの置かれた状況に該当しないと、不遜に見ていたと後になって気付いたのだ。
 あのとき。自分に見えていない世界は存在しないということではないのだと気付いたはずなのに。目を逸らしていただけなんだと自覚したはずなのに――。
 痛みや苦悩が伴うにせよ、自分の人生を自分で選択することが可能な大人たちですら、迷える人生という道を、選択肢すら見つけられない子供たちはどう進めば良いのか。子供たちは大丈夫、といえるように。素晴らしい人生だと思えるように。目を逸らさずに、何度でも考えていきたい問題の一端がここにある。


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