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第1回

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 新しい世界への扉をノックするのは、次世代スターの産声だ――今回話を聞いたのは、第38回ぴあフィルムフェスティバル(以下、PFF)でグランプリを受賞した立原尚吾(たちはらしようご)と大土井紘(おおどいこう)。二人ともまだ大学三年生ということ、そして二人で一つの作品を監督するという珍しい形式だったことから、受賞時から注目度が高い。プロボクサーを目指す青年の日々を描いた異色の受賞作『身体』については前編(https://www……)でたっぷり語ってもらったので、後編では、二人のこれまでとこれからについて訊(き)いていく。

――まず、お二人が映画を制作し始めたきっかけをそれぞれ教えていただけますでしょうか。

立原尚吾(以下、立原):僕は完全に祖父の影響だと思います。高校三年生のときに亡くなったのですが、物心ついたときから映画好きの祖父が世界の名作を片っ端から観(み)せてくれたんです。「質のいいものに触れろ」というのは祖父の口癖で、祖父の家にはどんなDVDもあったのでよく遊びに行っていましたね。「名作はやっぱりスクリーンに限る」ともよく言っていて、小学生になると都内の、名画座も含めた色んな映画館に連れて行ってもらいました。名画座ってたまに、学生映画の特集とか、美大の学生さんの卒業制作の上映とか、そういうこともやるじゃないですか。中学生のころに初めて学生映画というものを観て、自分もできるかもしれない、やりたい、って思ったんです。そのあたりから、学校でも文化祭の映像とかを率先して担当するようになりました。

大土井紘(以下、大土井):俺は、上京して初めて尚吾に色んな映画館に連れて行ってもらって、まずでかいスクリーンに感動しました(笑)。地元が小さな島なんで、本当に何にもなかったんですよ、遊ぶところとか。でもとにかく綺麗な景色が沢山あったんですね。家から五分で海にも山にも行ける、みたいな環境で、やっぱそういうところにいたからか、まず自然と写真を撮り始めました。ありがたいことにスマホは割と早い段階で持たせてもらっていたので、どんどんカメラにハマっていって、どの角度からどう撮ればこの景色が一番かっこよく撮れるだろうか、みたいなことばっかり考えていました。それから短い動画も撮るようになって、アプリで編集も覚えて、役所から頼まれて島のPR映像とか撮らせてもらって……っていう感じですかね。

二人が組んだのは必然

――聞けば聞くほど真逆な印象ですが、それが独特のコンビネーションを生み出しているんでしょうね。そんな二人が、映像系の大学ではない一般の大学の映画サークルで出会われて、一緒に一つの作品を創るようになったのは何故(なぜ)なのでしょうか。

立原:先ほど祖父が高校三年生のときに亡くなったと話しましたが、つまりちょうど受験期だったんですね。僕は映像系の学部のある美大に行きたかったのですが、祖父が晩年特に薦めてきたのが鐘ヶ江誠人(かねえまさと)監督の作品で。鐘ヶ江監督って今では海外でも評価される巨匠って感じですけど、もとは命志院(めいしいん)大学の映画サークル出身なんです。僕も鐘ヶ江作品が大好きなので、監督と同じ道程を歩みたくなって……。紘とはそこで出会いました。初めはびっくりしました、映画サークルなのに映画のこと全然知らないし(笑)。でも、自分がかっこいいと思うものをかっこよく撮る才能がすごかった。組んでわかったんですけど、紘は僕が苦手なことが得意なんですよ。だからすごく助けられたし、全然違う道のりでここまで来たけど、二人が組んだことは必然だったのかなとも思います。

大土井:いや、他の奴がみんな尚吾のストイックさに心折られて潰れていっただけです――っていうのは冗談ですけど、ちょっとだけ本当だと思います(笑)。俺はもともと、尚吾タイプの映画大好き系の友達に誘われてサークルに入ったんですけど、その友達が先に尚吾と組んで、すぐに辞めちゃったんです。尚吾はまあ仲間内でも結構厳しく指摘するタイプなので、映画大好き同士ではうまくいかなかったんでしょうね。俺は傍からどっちの言い分も聞いていて、どっちもそれぞれ正しいことも正しくないことも言ってるなって思っていました。そんな感じでいたら尚吾に注意できる奴っていうのが俺しかいなくなっちゃって、そのうち俺もカメラを回しながら演出するようになって、頼られることも多くなって、いつの間にか共同監督になっていったって感じです。

野生の勘と結構慎重派

――二人で監督、というのはなかなか珍しいと思うのですが、お二人含めスタッフ全体の役割分担などはどうなっているのでしょうか。

立原:紘は直感というか野生の勘というか、そういうもので決断することができるし、失敗を恐れないんですよ。それまで映画じゃなくて写真に多く触れてきた人なので、僕にはない、最大瞬間風速みたいな撮り方ができるんです。僕は結構慎重派なので、動きのあるシーンは紘に任せて、僕は静かな、表情や台詞(せりふ)で魅せるようなシーンに注力しました。あとは音入れなどのダビング作業、そういう細かい、やすりで削って完成度を上げるみたいな作業もほとんど僕かな。

大土井:失敗を恐れないっていうより、俺は、失敗して恥ずかしいっていう感情があんまりないのかもしれないなと最近思います。これまで尚吾と組んでダメになった奴、俺をサークルに誘った友達とかは、尚吾から「ここがダメだ」って指摘されたり、変なことになるかもしれないけど試しにこんなことをしてみました、みたいなことに対してやけに恥ずかしがってた気がするんです。だけど俺はそもそも自分が撮るものが映画として優れているとは思っていなかったので、色んなことに対するハードルが低かったんでしょうね。主演を引き受けてくれたボクサーをかっこよく撮ることだけを考えていたので、それが尚吾にとっては新鮮だったのかもしれません。

立原:とはいえ、前後の繋がりとか全く考えずカメラを回し始めたりするので、驚かされることも多かったですけどね(笑)。でもそういうことも含めて、紘とする映画作りはすごく楽しかったです。スタッフ全体の役割分担というと、後輩にひとり人たらしがいて、そいつが他のスタッフをまとめてくれていたのも大きかったですね。

大土井:ああ、確かに。泉(いずみ)っていう後輩が助監督についてくれてたんですけど、そいつの存在は結構でかかったかも。一つ下なんですけど、照明とか音声とか、他のスタッフたちをまとめてくれてたんですよね。普段はいじられキャラで、自分では全然作品撮ったりしない奴なんですけど、なんか人の懐に入るのがうまいというか。おかげで俺たちは二人だけで集中して話し合ったりとか、そういうことができていました。

狭き門に挑戦、感じるままに

――審査委員長の舟木美登利(ふなきみどり)監督からは、「誰もがスマートフォンで動画を撮れるようになった時代を反映するかのように、今回は特に若いクリエイターによる新しい感覚に満ちた作品が多かった」という講評がありました。お二人もまさに早熟な才能だと思いますが、次回作や今後について、お話しできる範囲で教えてください。

立原:つい先日、命志院大学のプロモーションムービーの制作依頼があったんです。グランプリ受賞を知った大学関係者の方がお声がけくださったんですが、やっぱり自分の力ではできないことも多いと痛感しました。第一志望の進路は、鐘ヶ江誠人組に弟子入りすることです。さすがに狭き門すぎるのかなとも思いますが、舟木美登利監督ももともとは鐘ヶ江組で長く下積みを経験したと聞きますし、僕も本物の実力を身につけるために質の高い環境に身を置きたいと考えています。将来の夢は、祖父と巡った映画館を満席にするような作品を監督することですかね。とにかく、本物の実力を持った、本物の映画監督になりたいです。

大土井:俺はとりあえず、地元で海や山を撮っていたときと同じように、自分がかっこいいと感じたものをかっこよく撮る、ということを極めたいと思います。それで創った映像が、尚吾が連れて行ってくれたような映画館の大きなスクリーンで、最高の音響でバーンと上映されるようなことがあればすごく幸せだなって思いますね。

 最後に「本当にナイスコンビですね」と問いかけると、二人は「そうですかねえ」と声を揃え、笑った。まさに新しい世界への扉をノックする次世代スターとなり得る二人のこれからに、期待が募る。(聞き手・池谷真理子)

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