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「こうあるべき」をぶっ飛ばす!柚木麻子らしさあふれるエンタメ小説『マジカルグランマ』宇垣美里さんによる文庫解説を特別公開!

 7月7日に発売される柚木麻子さんの文庫『マジカルグランマ』。75歳の正子さんが、ステレオタイプなおばあちゃん像をはね返す、とても圧倒的な面白さのエンターテインメントです。かねてより柚木さんの作品を読み込んでいらっしゃる、フリーアナウンサーの宇垣美里さんによる文庫解説を特別公開いたします。

柚木麻子著『マジカルグランマ』(朝日文庫)

 私の記憶の中の祖母はいつだってゴージャスだ。海外で仕立てたオートクチュールのスーツを身に纏い、お気に入りのネックレスはゴールドのスカラベ(黄金虫、というかフンコロガシ)。その年代にしてはスラリと背が高く、しゃなりしゃなりと歩くたびに黒々としたボリュームのあるショートカットがふわふわとたなびいていた。いつだって祖父のことが一番大好きで、「パパぁ~」と甘えた声で逐一相談する姿は私よりよっぽど少女然としていて、呆れを通り越して笑ってしまうくらい可愛らしかった。私が父の持っていたパンを欲しがって食べてしまうと、憮然とした様子で父のためにもうひとつ買ってくるほど子煩悩で、お年玉を手にどの本を買うべきか必死に計算する私を前に「私はお金のことなんてよく分からないわ」と困惑するほどお嬢様な、私の祖母。ぽたぽた焼のパッケージやドラえもんにおけるのび太のおばあちゃんとは、まるで違う。祖母である前に母であり、女であり、人間であったあの人は、この本を読んだらどんな感想を持ったのだろう。聞いてみたかったな、と思う。
 70代半ばの元女優である正子は東京郊外の古い屋敷に住み、同じ敷地内の別宅で暮らす映画監督の夫とはもう4年ほど口をきいていない。別居費用を稼ぐためにシニア俳優として再デビューしたところ、CM出演をきっかけに「日本の理想的な優しいおばあちゃん」として一躍人気者に。ところが夫の突然の死によって冷え切った夫婦関係が世間にばれてしまい、一気に国民から背を向けられることとなる。おまけに夫の借金も発覚。家を売ろうにも解体には1千万の費用がかかると分かった正子は、夫のファンである映画監督志望の居候・杏奈や近所に住むパートタイマーの明美などの協力を得て、メルカリで家の不用品を売り、自宅をお化け屋敷のテーマパークにすることを考え付く。
 本作の『マジカルグランマ』という題名を見て、はたして誰が正子のような主人公を思い浮かべただろう? 隠し切れないほどに貪欲でゴーイングマイウェイな正子は、“マジカルグランマ”という言葉から想像する、シンデレラにおけるフェアリーゴッドマザーのような、可愛くて優しくて素敵な魔法の力で若者をそっと導くおばあちゃんとは大違いだ。なにせ息子より若い杏奈を意地悪にも正論で言い負かし、公道で取っ組み合いのけんかをしちゃうくらいなのだから。欲張りで、俗物で、夢見がちでしたたかで、面倒だけどおちゃめで、放っておけない魅力にあふれた正子は、脇目も振らず女子教育の普及にまい進する『らんたん』の河井道や、小説家として売れることへの執念すさまじい『私にふさわしいホテル』の中島加代子など、私の大好きな柚木麻子さんの作品らしいキャラクター。底抜けに明るくてパワフルでどうしたって目が離せない存在は作者自身とも被る。
 そんな正子の想像の斜め上を行く野心的な生き様が痛快で、いつしか「もっとやってやれー!」とけしかけるような気持ちでページをめくる自分がいた。なぜなら私もまた、マジカルの呪縛に囚われた一人だからだ。
“マジカルグランマ”とは、世間の求めるいつでも優しく従順で、老いてもキュートな万人にとって都合のいい理想的なおばあちゃん像を意味する。まさしく正子がCMで演じた、機械に疎くて孫の幸せが自分の幸せ、そんないつもニコニコしている「ちえこばあちゃん」のような。
 このようにマジョリティにとって都合のいいイメージで固められたマジカル◯◯は世間に未だ溢れている。例えば『風と共に去りぬ』の黒人の乳母・マミーのような、白人を救済するためだけに存在する従順で献身的な黒人を指す“マジカルニグロ”、『プラダを着た悪魔』におけるナイジェルのように、ヘテロな主人公の恋愛や仕事を手助けする毒舌でオシャレな“マジカルゲイ”、いつだって夫や子どもが第一優先で自分の部屋や1人の時間なんて必要としない料理上手な“マジカルマザー”、知的で華やかながら天然で控えめで決して男性を脅かすことなどない“マジカル女子アナ”……そんな人、いるわけないのに。気の弱い女性アナウンサーなんて、少なくとも私は会ったことがありませんね。
 かく言う私も、気も口も強いように見えて、誰よりも長女らしい長女であるが故に、空気を読むことや黙って我慢すること、相手の求める範囲の“わがまま”を演じることが未だにやめられない。窮屈に思いながらもいつの間にか内面化された“こうあるべき”という価値観に自分を当てはめてしまう。その方が生きやすいからだ。それ以外の生き方をまだよく知らないからだ。だって、理想像から逸れるのは、怖い。自分らしく在ろうとしても、世間がこうあるべきと迫る理想と己とのギャップに、つい怯えてしまう自分がいる。だから、自由奔放で力強く自立して見えた紀子ねえちゃんもまた、マジカルの枠の中で上手に振舞っていたに過ぎず、新しくあてはめられた理想像に苦しんでいる描写に、胸がぎゅっと苦しくなった。
 けれど正子はそんなステレオタイプに苦しむ紀子ねえちゃんに、新しい解決策を提案する。

「自分と似たような立場の誰かと助け合うことで、この世界が押し付けてくる規範に抗うことはできるのではないか」

 なんて軽やかなんだろう。なんて柔軟なんだろう。あらゆるステレオタイプをなぎ倒すように、己の望む人生を爆走する正子の姿が眩しくてしかたがない。
 前述の紀子ねえちゃんと正子の関係はもちろんのこと、台風のように周りを巻き込む自分勝手な正子に嫌悪感を覚えながらも、いつしかバディのような存在となる杏奈や、適切な距離感で助け合う明美など、脇を固めるキャラクターたちと正子が結ぶ関係もまたシスターフッドそのもので、これもまた柚木作品らしいところ。そうだ、私たちはいつだってお互いに励まし合って支え合って、生きてきた。そしてこれからも。
 ひとっとびに自由にはなれないかもしれないけれど、自分の中に巣食う、知らぬ間に植え付けられた“こうあるべき”は依然なくならないけれど、同じように苦しんでいる女の子たちのことも救わんと戦い続けていたら、いつの日か私もマジカルの呪いから解ける日がくるんじゃないだろうか。くるといいな、と思う。

「私たちはどこかでおばあさんは、いや、女というものは、自分を後回しにして、他人のために尽くすべきだと考えてはいないでしょうか? 誰かの犠牲や献身で生まれた幸せはある日突然、終わってしまうことに、もうみんな気付きはじめているのに」

 杏奈の綴るこの言葉は、作者自身の社会に対する眼差しを、煮えたぎるような怒りを、燃えるような反骨精神を感じさせる。だから、柚木作品を読んでいると、ふつふつと闘志がわいてくるのを感じる。ああ、なんだか力がみなぎってきた。

「できるわよ。なんだって。私はなんでもできる」正子は言った。

 そうだね正子さん。やろうとさえ思えば、私たちは何にだってなれる。どこにだって行ける。年甲斐もないと顔を顰めるやつらの前でミニスカート穿いてやろう。そろそろ落ち着けとアドバイスしてくる人の前でキレキレのダンスを踊っちゃう。「いい子は天国に行ける。悪い子はどこにでも行ける」メイ・ウエストのこの言葉は私たちフェミニストのスローガン。天国なんかにゃてんで興味ないの。理想的な女でも母でも祖母でもない私たちは、どこまでも限りなく自由だ。
 天国のおばあちゃん、グランマらしい無地の地味な着物なんて、あなたには似合わないから着なくていいよ。白髪を一本も許さない、あの美意識が大好きだった。次会う時がいつになるかは分からないけど、私も「私が買わなきゃ誰が買う」の精神でゲットしたド派手なトンチキ服着て颯爽と駆けていくから、まあ楽しみに待っててよ。


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