第12回
魚さばき界の三ツ星スター。
魚さばき界の三ツ星スター。
忘れないよう、小さな声でそう繰り返しながら帰宅する(「隣でぶつぶつ怖いけん! 運転に集中できんけん黙れ!」)。帰宅してすぐに母に尋ねると、「星野料理長? 知っとるよ、なんか癖になっとよねえあの声が」とあっさり言われた。
「桑原さんとこの子ォ、あれやね、客がおるところでも動画流しよるらしかけん、それはやめたほうがよかね」
初めて作る感めっちゃ出てしまうけんね、と、台所に立ちながら母が言う。
「何ばそぎゃん驚いとっと」
その場に立ったままの息子の姿をちらりと見て、母はすぐに夕食作りに戻る。
「いや、なんか、ネットとか詳しかイメージなかったけん」
ちょっとびっくりして、と、紘が呟くと、「何ね失礼か」と母は唇を尖らせる。
「もうテレビも点けとるだけであんま観んけんなあ。うちは二局しか映らんし、映ったとしてもおんなじような番組ばっかりやし。そぎゃんなるともうYouTubeとかのほうが全然時間潰せるとよ」
ユーチューブ、という音が母の口から発せられていることに、紘は未だにむずがゆい気持ちになる。
「今、面白ろか人いっぱいおるとよ。魚さばく人もやし、何でも研いで包丁にしてしまう人もおるし、歴史の話してくるっ人も結構面白かなあ。お父さんも、なんか東大の人がしよるクイズのチャンネルみたいなの観とるらしかよ」
「なあ、母さん」
「何?」母がこちらに振り返る。
「龍川清之て知っとる?」
「へ?」その声の出し方は、昼間の桑原とそっくりだった。
「昔は国民的スターやったっじゃなかね? なあ」
「何急に、どぎゃんしたと」
眉を顰(ひそ)める母を前に、紘は息を吸う。
「鐘ヶ江誠人監督、は?」
何ね怖かねえ、と呟いたっきり、母はもうこちらを振り返らなかった。あと少しで父が高校から帰ってきてしまうのだ。
紘は、みりんと醤油(しょうゆ)の匂いを嗅ぎ取りながら、その場に立ったままでいる。
“一部地域”のこの島には、名画座どころか映画館だって勿論、ない。銀幕のスターを思い出す機会は少ないけれど、その代わり、新たなスターに触れる場面は多いのだ。
もう少し、会話をしたい。何を訊きたいのかは自分でもよくわからないけれど、このことについて会話をしたい――紘がそう思い、また口を開いたときだった。
右のポケットが光った。
スマホを取り出す。電話だ。
SNSやLINEを常用するようになってから、電話で連絡をしてくる人は激減した。誰からだろう、と、改めて発信相手を確認する。
長谷部要。その四文字は、ジムの片隅で一心不乱に縄跳びをしていた姿と同じく、発光していた。