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きれいな、母ちゃんのサラダ。

突然ですが、私の母ちゃんは美人な方だ。本人はコンプレックスの話ばかりするが、周囲からはよく美人な母ちゃんだと褒められる。

…私は母とは似ていない。

今日はサラダの話をしてみよう。


私のロング【ステイホーム】時代、いや、そのもっと前、3才、4才、幼稚園に入って・・・そんな時から我が家は祝い事や行事は決まって手作り料理でお祝いをしてくれた。幼稚園の頃に私の誕生日会を開いて友達を読んでくれた、その時はご飯やケーキの他に、鈴蘭カステラやアイスクリーム、ポッキーなどが刺さった自家製パフェを一人づつに作ってくれた。ひま祭りでは鶉の卵を顔にして黒ごまや海苔を使って目や鼻、色々な食材でお雛様を作ってくれた。クリスマスにもチキンや色々なご馳走が並んだ。うちは裕福ではなかったけど、いつも工夫と可愛いご飯がイベントになると並んでいた。

それから、私が学校へ行かなくなって、あまりご飯も好きじゃなくなって、

そして、少しずつ、少しずつ家族は解散したんだ。

随分と大きくなって、一人暮らしをする様になって、ずっと続けてきたダンスと並行に写真を始めて、好きな人ができて、よく家にくる様になって、フラれて、フって、友人に慰められて、友人が泊まって、踊って、笑って、泣いて、踊る。そんな毎日の中に、料理をする時間は浸透して、私はホームパーティで自分の家に遊びに来てもらうのがとても嬉しかったし好きだった。初めての一人暮らしは5.5畳の檄狭の家だった。それでも肩幅ほどのキッチンで料理をして、親友を呼んでは一緒にご飯をした。

そんな中、

「すごく綺麗、色合いとか並べるのがうまいね」

とよく褒められたのが サラダ だった。と言ってもお金がなかったから、ベタな食材で3、4種類の野菜たちを切るなり蒸すなり、いたって普通の感じだ。

でも、ホームパーティをするとよくサラダを褒められる。切って、のっけているだけだ。これは去年の話、職場の仲間5、6人とクリスマスパーティをした時、私はきんぴらごぼうとお豆腐のゴマだれサラダを作った。これもとっても好評で褒められた。嬉しかった。


「はっ」


思い出すと、母ちゃんのサラダはいつも色が綺麗なサラダだった。

緑と黄色と赤がいつもちゃんとあった。ゆで卵の時やスクランブルエッグ、コーンもよくあった。盛り付けも時計の様にサークルの配置で大抵等間隔にミニトマト、間にブロッコリーとかの。いつも同じ感じだけど、いつもパーティでの食卓の色を華やかな安定として位置付けていた気がする。

私は、それをよく確認していた。サラダを見てから他のおかずを見ていたことを思い出した。

講演会などを頼まれる時、不登校児の成功例としてお声がけをいただき、お話しさせて頂く事もある。そんな時に一通り経緯を話すと、両親含め家族や携わった病院関係者や教職員も褒められる。私もそう思って事例をあげる事も多いからだ。ただ時間が足りなくて話せないことなんて山ほどあるし、話すべきでないと思って話さないことも山ほどある。

私の家族は解散した。もうサークル状に配置されたサラダを同じ家で食べることは二度とできないと思う。でもね、私のサラダは今とても綺麗です。

色々な記憶と味と景色を得て、素朴だけど、好きな人たちに褒められるサラダです。

この写真は今日、自粛中の大人になってからのステイホームで夕飯に作ったサラダ、実はこれはまだ途中で、この後少し味付けして蒸したサツマイモをのせる。本当は後ろのビンが主役なんです。

自家製の赤ワイン煮のみかんジャム、味噌、お水、カルダモン、クミン、ピーナッツをミキサーにかけたお手製のドレッシングだ。とてもとても美味しい。

そして最後にパルメザンチーズと黒胡椒を散らして完成だ。

サツマイモを蒸しているときに、ふと、きれいな母ちゃんのサラダを思い出してテーブルにいてあったカメラで一枚撮った。上のドレッシングをかけてからでは違うと思ったから。

今日はすごく美味しい夜になった。

とても素敵な夜になった。

あなたの思い出のご飯はなんですか?

今日も最後まで読んでくれてありがとう。そうだな、思わず摘み食いをしたピーナッツを5粒あげたいくらい嬉しい気分だよ。




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