私がnoteを好きな理由

noteの記事が好きだ。


文章を読むこと自体が好きなので、気がつくといろんなブログや記事を一日中読んでいることもよくある。


(ものすごい独断と偏見だと思うが)

はてなブログは論文とか描き慣れてる頭の良い人が多い感じがするし、

アメブロは成り上がりたい主婦が多い気がする。(ひどい偏見だ...)


noteは、なんだか雰囲気が緩くて、日常の小さい出来事を繊細な目で観察したり、

自分を静観してる人が多い気がして、

圧を感じずに読むことができる。


特に私が読んでいてホッとするのは

モラトリアム期ともいうべき、

何者でもない自分にあえて向き合っている人のブログだ。


事業を軌道に乗せたり、ノマドワーク、

行動に移そう!

新しいことができそう!

そういった記事には圧を感じ、

ウッっとなる。


それよりも、肩書きは一応あるけれど、はて、私は何者だ?

そもそも何者か定義しなくてはいけないのか?

とあえて自分を定義しないで、

軽やかに生きている人の文章を読んでいると、

猛烈に幸福感を感じる。


それはきっと、現在私自身が一応肩書きはあるけれど、猛烈に仕事に向かって一直線!

ではなく、私にとっての興味が、

仕事と生活と楽しみが

同じくらいの割合で存在しているからなのだと思う。


仕事で喜んでもらえることも、お金をもらえることも、

掃除機をかけた後の清浄な空気も、整理した後のスカスカのクローゼットにも、

図書館から借りてきた本がハマった時も、フェスで名も知らぬバンドでめちゃくちゃ盛り上がった時も、


同じくらいの幸せを感じている。


noteには、そんな人が結構いっぱい生息しているような気がする。


きっと私は仕事をしていない瞬間や、家事をしていない瞬間に、ほのかに罪悪感を感じているのだ。


なので他にモラトリアム期の人を見つけて、

「私だけじゃない」

と安心したいのかもしれない。


しかし私は、今この時期が、

私の人生にとって非常に大切な時期だと感じている。


今までを振り返り、

これからを夢想し、

今を感じるこの瞬間が、

これから先、あの時間を過ごしたことは、

なんと素晴らしいことだったんだろう

と思える日が来る気がする。


仮に思えなかったとしても、

少なくとも現在私の心は幸せだ。


そして長い人生の中、

いつまであるかわからない得難いこの時間を、

ほぼ同時に過ごしている、これからもきっと実際会うこともないモラトリアム仲間の存在が、

私にはとても心強く、そして穏やかな気持ちにさせてくれる。


心が不安になったら、

私は興味があるキーワード(ミニマリストとか、デンマークとか、留学とか...)に出てきた適当なブログを読んで、

感嘆したり、ほっこりしたりしている。


(デンマークにハマっているので)

「この時間こそヒュッゲじゃない?」

などと言いながら。

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