僕にファシリテーションを教えてくれた①
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著者の方のワークショップを以前受けたことがあります。非常に驚きました。会場の空気や自分と向き合う時間、生み出されてくる自分の中の考え。
それは単純に講習という時間ではなく、確かにファシリテーションによって場が、自分が促進されていく体験でした。
講習はつまらない、会議はつまらないと考えている方。ちょっと待ってください。確かに多くの場はつまらないものかもしれません。が、本当のに学びになる、心の底から納得できる、考えたくなる空間というものがこの世には存在するのです。
そのような不思議な体験?のエッセンスがこの本の中に惜しみなく登場します。テーマは学校。こんな視点で授業を進めてくれる先生がいたら、学校がもっと楽しくなるのかもしれない。本気でそう思います。学校以外での会議などでも、もちろん応用が可能。
マジでおススメ!みんなに読んでもらいたい!
いってみましょ――――
「学習者スタート」で始める。まず講師の話を聞く「講師スタート」で行われることが多いが、このやり方では受け身モードになりがち、講師より先に学習者が口を開くようにする。
はいはい、ものすごく心当たりがあります。学校の授業、とてもつまらなかったです。ずっと不思議でした。先生はなぜ教科書に書いてあることをそのまま黒板に書いているのだろう?自分で読めばわかるのに、何この時間?と頬杖を突く自分。そこには主体性など微塵もありませんでした。
学校の授業というのはクラスにたくさんの人がいて効率的に情報伝達をする必要がある場、であるから私たちが受けていたような授業スタイルが一番都合が良かったのであろう。
最近は、アクティブラーニングという言葉が使われるようになり(アクティブラーニングから表現が変わったらしいが忘れちゃった)、おそらく自分が受けていた時代の授業とは変わっているはずである。でも学校という場所が、先生の授業というものがそんなに簡単に変わることができるのだろうか?変わっていたらこのような本が世の中にでなくない?
表面的なスキルとして学習者スタートを取り入れることは可能だ。でも、そこじゃない。何のために学習者に先に話させるか。それは主体性を生徒に渡すひとつの儀式だ。主体性を生徒に渡す覚悟ができるか、という話だ。
社会人として講習を受けることが多いが、そのような考えの講習にほぼほぼであったことがない。大人になると黙って話を聞いてるのが学びになるのか?いや、たぶん知らないんだろうな。参加者に主体性を渡す方法を。もっとファシリテーションが一般的になって講習も会議も学校の授業もそれぞれが主体的に取り組める楽しい場になればいいのに、と本気で思う。
知識の伝達だけでいえば動画で優秀な講師の授業を観ればいいじゃん。学校にわざわざ行って、熱量もスキルもムラのある地域の先生の授業を受ける必要があるかな?自分で考えて、同級生と話し合って、時には意見をぶつけあって一緒に答えを探していく。
そんな経験を学校でやるべきなんじゃないかなぁと感じる。まぁ、知識もぼちぼちGoogleが優秀になってそこまで大きな意味がなくなる世に変わっていく時代。学校というものが必要なのか、選択して学校など行かないでいい世界になるのか。どうなるんでしょうね。
自分事にする問いかけ。学習者が「あなたの生活や暮らしにとって、今回の学ぶテーマがどのようにかかわっているか?」をイメージしてもらえるような問いを出したいもの。優れたと意図はそれが出された瞬間に、学習者を主体的にし、学ぶ意欲を掻き立てるもの。
問いが最近の本当の自分の課題だなぁ。
そう、学校の授業で学んでいることと日常との繋がりがわからなかったのが大きかったと思う。何のために、学んでいるのこれ?ってずっと思ってたもの。もちろん学校で学ぶ事柄の積み重ねが今自分たちが生きている世界を作っているのはわかっている。でも、そこがつながらなかったんだよなー。
学校の先生っていうのは大変だな。