日本人は○○で考える。
「今日の晩ごはんどうしよう…」
「天気良いから洗濯回しちゃお…」
「今日は暑いからTシャツかな…」
何か判断する時、決定する時、行動する時…
人が何かを考える時、
その人の頭のなかには知らず知らずのうちに
言葉 があふれている。
では、
日本人が何かを考える時、
頭のなかにあふれてくるのは?
それは…
もちろん
日本語 である。
私たち日本人がスーパーに行って
「今日の晩ごはんどうしよう…」と考える時、
その頭のなかにあるのは、
「beef or chicken or fish? Umm……」
ではなく、
「お肉にしようかな…、お魚にしようかな…、うーん……」
である。
私たち日本人は
自分が知っている日本語の世界のなかで生きている。
知らない日本語と出会うと
「ん?○○って、どういう意味??」と思考停止するか、
「…………」と無視するようにできている。
たとえば
国語の授業で
『理想と現実の狭間で揺れ動いている』
なんてワードと我が子が対峙した時
日本語を知らないとどうなるか?
「え、何? 理想? 現実? 狭間? どういう意味??
あ~…、授業置いてかれた……」
となるか、
「○○と△△の□□で◆◆動いている」
となっているということである。
授業を聞いて、内容を理解する なんて、
夢のまた夢のような話である。
小学校で
45分 × 5 or 6時間
授業を受けている我が子がもしこの状況だったら?
小学校で過ごす時間の大半である授業中に
死んだような顔をしている我が子の姿が目に浮かぶだろうか?
語彙力は、思考力に直結する。
日本人は有している日本語の数だけ
深い思考ができる、つまり、賢くなる。
我が子の語彙力
鍛えたくなっただろうか?
鍛えたければ
もちろん、ドリル!
ではない。
親子の会話
これである。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?