My Trap
あれは梅雨時の霧雨が降る夜だった。
一人暮らしを始めてまだ3日しか経っていないときの出来事だった。
新しい生活のはじまり。私が以前から楽しみにしていた一人暮らし。初めて持つ自分だけの自由な時間。誰からも邪魔されず、外の喧騒とはまるで無関係の6畳間。
しかし、3日も経つとまるで世間から見放されたような感覚に陥った。
話す相手もできず、テレビをほとんど見ない私は3日目の夜にしてすでに孤独と退屈を感じ始めていた。
あまりに退屈なので、教師を目指していた私は自分の声がどのようなものか、滑舌はいいのかを知ろうと思い、買ってきたばかりの録音機にマイクをつなぎ、何か小説でも朗読して自分の声を録音してみようと思った。
本棚を探すと、つい最近読み終えたばかりの筒井康隆「自選ホラー傑作集」が目に留まり、これを読んでみようと思った。
この傑作集の中で最も私を恐怖にさせた「2度死んだ少年の記録」を読むことにした。
そして、4ページほど、感情を込め、抑揚をつけて読み、録音した。
私は早速そのテープを巻き戻し聞いてみることにした。
しかしテープから再生された自分の声は予想以上に恐ろしく、また、さすが「傑作集」だけあって、その描写は、何度読んでも、また新たな恐怖感が激しく襲ってくるのである。
さらに、黙読と違って、音読がさらにその恐怖心をあおるのである。
何でそんなに感情込めて読んだんだろうという若干の後悔が押し寄せてきた。
私はその恐怖心から、途中でカセットを止め、電気を消し、トイレも我慢して、もう寝ようと思い、ふとんを頭からかぶった。
5,6分後、自分が住んでいるマンションの5階にエレベーターが止まる音を聞いた。
ドアが開き、それから鈴の音が聞こえてきた。
「チリン、チリン、チリン」。
それと共に地面を引きずるような足音が「ざっ、ざぁー、ざっ」と聞こえてきた。
先ほど読んだ「2度死んだ少年の記録」を読んで自分が勝手に想像した、ただれてぼろぼろになった少年が再び頭の中に浮かんできた。
音は私の部屋の方に近づいてくる。
「馬鹿な。冗談だろ。そんなことがあるはずがない」とほとんど泣きべそをかきながら祈った。
「そんなはずはない」と頭からふとんをかぶり直し、そう何度も繰り返した。
だが、鈴の音と足音は部屋を通り過ぎ、奥のほうへといき、「ガチャ」という音と共に、ドアが開く音がした。
何のことはない。ただ単に隣人が帰ってきただけなのであった。
自分の気の小ささが情けなくなってきた。
少し落ち着いた私は、やはりトイレに行ってから寝ようと思い、立ちあがった。
もうすでに先ほどの恐怖心はどこかにいっており、さて、小便でもするかと下りていた便座をあげると、私は無意識に「グゥオー」と獣のような雄叫びをあげていた。
そこに大量の髪の毛が浮いているのである。
しかし、ドクドクと心臓が激しく鼓動しているのを感じながら、この髪の毛が何なのかを思い出した。
髪の毛も伸びてきていたので、心機一転の意味を込めて、ついさっき、お風呂前に自分で髪を切って、トイレに捨てたのだ。
後で流そうと思い便座を下ろしていたのだが、お風呂から上がるともう完全に忘れてしまっていたのだ。
自分の馬鹿さかげんに軽いショックを受け、苦笑いしつつ用を足し、トイレの水を流した瞬間、気を失った。
毒々しく真っ青になった水が流れてきたのだ。
私は薄れゆく記憶の中で思い出していた。
そうだ、髪を捨てた時に、便器が汚れないようにと、買ってきていたトイレ洗浄用品「ドボン」をいれていたのだ。
それから2時間。この世のものとは思えないほど青くなった水が、私の意識と共に便器の中に吸い込まれていったのだった・・・。
完
(※今思い出すと笑えてきますが、ほぼノンフィクションです)
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