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「目」が変わると日常が変わる

夕暮れどきの空のグラデーション、陽にあたって輝く水たまり、街路樹の木漏れ日…美しい風景は意外と身近なところにあったりします。
見慣れた通勤路でも朝と夕方の様相は全く違いますし、季節が変われば景色も変化していきます。

そんなさりげない日常に、常に美と変化を見出していた画家がいます。クロード・モネです。

モネは、1840〜1926年に生きたフランスの画家です。日本でいちばん有名な西洋画家かもしれませんね。
2015年に開催されたモネ展の観客動員数は、なんと76万人!誰もが一度は彼の絵を見たことがあるでしょう。

日本の美術館にもモネの作品はたくさんあります。たとえばこの『陽を浴びるウォータールー橋』は、上野の国立西洋美術館で観ることができます。


仰々しい装飾は一切ありませんが、思わず見入ってしまう美しい絵です。
しかし、この絵を近くで見ると、こんなふうに見えます。

ぐしゃぐしゃとした色の塊になっていて、何が描かれているのかよく分かりません。色を塗っているというよりは、絵の具をぺたぺたと置いているようにも見えます。

このような描写は、当初は批評家から「描きかけの壁紙でさえ、この海景(モネの絵『印象派、日の出』)に比べればずっとよく出来ている」と批評されました。当時の常識的な描き方とはかけ離れていたからです。

当時のフランスで高い評価を得ていたのはこのような絵です。
肌の滑らかさや髪の質感がよく表現されています。

アレクサンドル・カバネル『ヴィーナスの誕生』


当時のフランス美術界では、パレットで絵の具を混ぜて本物らしい色を作ること、筆の跡を残さず対象の質感をリアルに表現することが正解とされていました。

しかし絵の具を混ぜれば混ぜるほど色が濁ってしまいます。
モネは明るい画面を作り出すために、パレットで絵の具を混ぜず、直接キャンバスに載せて描きました。

モネが重視したのは、本物らしい質感よりも、それぞれの色の美しさを活かすことだったのです。

モネは自然の中にたくさんの色を見出していました。

先ほどの『陽を浴びるウォータールー橋』ですが、橋の影では、緑、水面に紫やピンク、オレンジといった色を使っています。影だからといって安易に黒く塗りつぶしたりはしません。
影は黒という先入観に囚われず、自然の中にはどんな色があるのか、本当は事物はどのように見えるのか、よくよく観察していたのです。


モネは色や光の変化を表現するために、同じ風景の絵を何枚も描きました。それが最も顕著なのは「睡蓮」の絵です。

モネ『睡蓮』1907


こちらも睡蓮の絵。先ほどの絵から10年以上後に描かれたものです。

モネ『睡蓮』1916


上の絵は箱根のポーラ美術館で、下の絵は上野の国立西洋美術館で観られます。

モネが描いた『睡蓮』は何と250枚以上!そのすべてが自宅の庭の睡蓮を描いたものです。

同じ睡蓮の池といえども、太陽光の当たり方で水面の色が変わったり、細波が生じて花びらが動いたり、池のそばの木陰が水面に映ったり、目の前の光景は時間と共に変化していきます。

モネはその微妙な変化を敏感に感じ取り、刻一刻と変わる風景のすべてをキャンバスに残そうとしました。
その結果、モネは20年以上にわたって睡蓮を描き続けることになりました。
目に映る光景を一瞬たりとも逃すまいとするモネの執念が伝わってきます。

モネの絵では、対象の持つ雰囲気や空気感そのものがよく伝わってきます。モネは現実世界を照らす光そのものを、的確に捉えて表現していたのです。


目の前の情景を描き続けたモネは、後に「眼の快楽で描かれている」と批判されたことがあります。絵の見た目ばかりが追及されて精神性が感じられない、というような意味です。

しかし、モネが多くの人に愛されているのは、目の前の光景の輝かしい瞬間を見逃さない「目」を、毎日同じように見える光景に変化を見出す「目」を持っていたからではないでしょうか。

モネと同時代の画家ポール・セザンヌの有名な言葉があります。「モネは目にすぎない、しかし何という目だろう!」
モネの眼で世界を見てみれば、私たちの退屈な日常はたくさんの色と光に満ちているのかもしれません。




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