遺物、あるいは遺失物。

 こんにちは、自称系音楽家かつシンガーソングライターのアートモバイルです。
 宅録(DTM)にて制作した名曲を、主にインターネット上で公開するなどする、いわゆる音楽活動をずいぶん長いこと続けています。

 その年月については「たいしたもんだ」と自分を誇らしく思ったりする一方で、「そんだけやっててこれしかできないの?」と自尊心を押し潰されそうになることも(稀に)あるゆえ、近年は己の活動期間について声高に語ることをあまりしなくなりました。
 つまり、自己のパーソナリティーをダイレクトに肯定も否定もできちゃう程度には長くやってるわけです。
 近作はこちらです。

 さて、インターネット上で長く活動していて気になることといえば、「過去の投稿」についてです。
 ブログやSNSなどの他者が管理しているサービス上に置き去りにしてきた、“探そうと思って探せば案外出てくる”遺物のことです。

 自分の場合、ブログを書いていた時期が過去にありましたが、現在はすべて非公開にしています。と思っていたのですが、非公開にし忘れていた期間が部分的にあったようです。
 最近それを人づてに知り、その流れで過去の自分が書いたものをなんとはなしに読み返していたのです。

 それは、含蓄があるでもなく、暑苦しくもなく、何かの足しになど当然なりそうもない。
 どこまで行っても風景の変わらない、申し訳程度にユーモアの加味された高速道路のような文章の群れだった。

 過去の自分がそれらの文章を非公開にしたのも、なんかわかる気がします。
 何が書いてあるかわからんし、もしも売れたときに「アートモバイル氏はこんな頃から○○について言及していたのか…!」と誰かが深掘りしてくれる未来を夢見るには、鳴かず飛ばずの季節がいささか長すぎたのかもしれない。
 あるいは「読まれない」ことへの疲弊が、それなりに募っていたのかもしれない。

 ただし、久方ぶりにこうして筆を執ったことと、過去の駄文を読み返したこととのあいだには、むろん連関があるわけです。
 多くの人にとって意味や価値がなくとも、自分が「悪くない」と魅かれるものに導かれて、ここまでやってきた気がしています。
 これからもどうか俺のことをよろしくお願いします。

 結びに、ブログの一部が非公開になってないことを気づかせてくれたL.N氏へ、この記事を捧げます。
 まあこんなん捧げられても困るかもだけど笑

 それではさようなら。

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