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テレフォン・カード


いつだか、荷物の整理をしていた時に、「テレフォンカード」なるものを見つけ、とても懐かしくなった。

おそらく、今の子供達世代は、なんのこっちゃわからんだろうし、仮に分かったとしても、それを使うことはないだろう。そしてきっと我々世代も、多分もう2度と、テレフォンカードを使うということはないのではなかろうか?

携帯電話の普及と共に、それは消えていった。携帯電話が普及し始めたのは、20年ちょっと前だろうか?俺自身、初めてPHSを持ったのが高校3年生だ。その頃から、一気に普及して行った。

カードには、タレントやグラビアアイドルの写真だったり、ご当地の観光スポットの風景だったり、簡単なイラストだったり、とにかく、いろんなデザインのカードががあり、昔は誰しも、財布の中にテレカが入っていたものだ。

今の若い世代は経験がないだろうが、それまでは電話で話をするのは「家電(家の電話)」しかない。だから、好きな女の子に家に電話をかけるのは、けっこう勇気が必要だった。なにせ、こちらの欲望を阻もうとする高い壁である『お父さん』が電話に出ることがあるからだ。

もちろん、母親とか、兄や姉でもそうだ。なんとなく、こちらの方が立場が弱い(のはなぜだろう?)。だから慎重に言葉を選びながら話さないとならない。

「えっと、夜分遅くに失礼します。〇〇と申しますが、♡♡さんをお願いします…。え?僕は、はい、あの…隣のクラスの…。はい、そうです…。いや、えっと、お友達でして、はい…」

と、誰もが緊張しながら話す。もちろん、中には厳しい親もいて、俺はけっこう「友達の親」からなぜだか嫌われる事が多く(悪い道に誘ってると思うそうだ…)、中学生の頃、女友達に電話をかけたら、父親が出て怒鳴られて切られたこともある。

あと、おっかないヤンキーの兄貴とかが電話に出たりするのも、むちゃくちゃ緊張したりする。しかし、今思えば、そういう中で、コミュニケーション力が鍛えられ……たのだろうか?(笑)

家の電話を使い過ぎると親から怒られるし、狭い家だと声が聞かれたりするので、テレカを持って近くの電話ボックスに、1時間も2時間もいて話し込む、なんてことはよくあった。俺の場合は、家は放任で、広かったのだが、電話機を兄貴が占領していてつかない、と言うことが多々あり、家の斜め向かいにある電話ボックスをよく利用した。

ちなみに俺は高校生の頃は北海道に住んでいて、修学旅行は東京へ行く。なぜか当時、俺たちの仲間内のお土産で「偽造テレカ」が流行っていた。

渋谷とか、そういう繁華街に行くと、偽造テレカ(使い終わったテレカに、シールを貼ったやつ)を売っている、見るからに怪しい外国人がいた。30枚で1000円とか、そんな価格だったと思う。だから、高校生の頃、仲間の多くが偽造テレカを使ったりしてた。

実際、それがないと、500円と1000円のカードを使うわけなのだが、無駄な長電話が多くて、みんな結構な出費をしていたと思う。現代のスマホ代に比べれば大した事ないのかもしれないが、テレカには“家族も割り”も“カケホーダイ”もない。それほど、男の子も女の子も、プラバシー空間を作ることに必死だったのだ。

だから、偽造テレカはもちろん非合法だが、当時は強い味方だった。1年生の頃は、先輩がたくさん修学旅行で買い込み転売するような形で、後輩の俺たちが買う。3年生になったら、一つ下の後輩に「ギッテレ(偽造テレカの略)、20枚くらい買ってこい」と、命令を出す。

しかし、今思ったが、偽造テレカを売ってた外国人。携帯電話の普及により、テレカが廃れた後は何をやっていたのだろう?

今から20年ほど前の、都内の繁華街の裏通りでは、マリファナやマジックマッシュルームなどと売っていた外国人がいたが、同じ組織だったのかもしれない。それにしても、そんな非合法なものが、すぐそこにあった時代。Twitterの炎上とか誹謗中傷なんかより、対面だからもっとリスクもスリルもあった。それはそれで、いろんな度胸や、コミュニケーション力が……

いや、話がそれた。そんなことはどうでもいい。テレフォンカードの話だ。

電話ボックスの中は、外から丸見えなのを除けば、プライベートな空間であり、気兼ねなく話込めた。しかし電話ボックスは冬場は無茶苦茶寒い(しかも北海道だったし)。それでも、コートを着込み、電話ボックスの中にしゃがみ込み、延々と話していた。

家に電話をして、

「ちょっと待っててね。今から外出て、すぐに電話ボックスからかけ直すね」なんてシチュエーションもよくあった。長電話だと怒られるとか、親が盗み聴きするから、という理由で。そう、わざわざ、親の目を盗んで、外に出て、電話ボックスで話し込むなんてことがあったのだ。

ちなみに今、スマホやケータイが使えなくなり、異性と電話で話すために、声が聞きたいがために、同じことをするのだろうか?どうだろう。

多分、しないだろうな(笑)。そこまでして「話したい人」なんていないような気もする。「何を話すか?」より、「誰と話すか?」だったので、話の内容はどうでもいいのだからなおさらだ。

大人になると、「何を話すか?」が重要になってしまう。「用件」を伝える事が、人間関係の前提になってしまう。なんだか味気ないが、大人になるって、そういう事だったのかもしれない。

他愛ない話と共に、テレフォンカードのナンバーが少しずつ減っていくのを眺めながら、友達や、好きな女の子とおしゃべりをする。LINEで簡略した文章を打つのとは違う、アナログな時代で、今の方がとても効率もコスパも良いのだが、あれはあれで、とても良かったと思う。

「あ、あと『2』しかないや」

数字が0になったら、電話は切断される。恋人たちとのホットラインは、NTTによって断ち切られるのだ。時間はあっという間に過ぎ去るということ。人生に時間は限りあるものだということを。我々は学ぶ。

「じゃあ、そろそろ切ろうか?」

「ううん。そっちから切って。私から切りたくない」

「そっちから切れよ?」

こんな会話もよくあった。向こうが切ったのを確認してから、受話器を置きたくなる気持ち。今となっては、どうしてあんなことを思ったのかさっぱりわからないが、名残惜しさを噛み締めたり、余韻のようなものにひたりたかったのかもしれない。

「じゃあ、0になるまで、こうしてよっか?」

「うん、そうだね」

緑色の公衆電話に、赤いデジタル文字の数字。時間経過と共に、それは「1」になり、「0」になる。

「おやすみ」

「おやすみ。また明日ね」

そして、ぷつん。あの娘のことを思いながら、受話器を置く。外には雪が積もっていて、電話ボックスのガラスが、少しだけ曇っていた。

外に出て、家まで走る。体は軽い。軽やかに、雪道を走る体は、家に帰ると、なんだか持て余すくらい、エネルギッシュだった。

時代は便利になった。快適になった。スピーディーになった。だがそれが良いとも限らない。これから、もっともっとそれは加速する。どんどん、デジタルで、簡略化され、スピーディーになり、距離を飛び越える。しかし、それと同時に、失われるものも、あう。

もちろん、古きを好き時代、なんて言って賛美する気もない。

ただ、過ぎ去って行きます。ただ、変化し続けます。しかし、あの日の「体験」だけは、今もこの胸に、温かく、残っている。


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言葉の力で、「言葉で伝えられないものを伝える」ことを、いつも考えています。作家であり、アーティスト、瞑想家、スピリチュアルメッセンジャーのケンスケの紡ぐ言葉で、感性を活性化し、深みと面白みのある生き方へのヒントと気づきが生まれます。1記事ごとの購入より、マガジン購読がお得です。

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