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「色即是空」と父の教え 『空(くう)』とはなにか?(半分以上無料で読めます)

9月19日(日)歩く瞑想 鞍馬山
9月26日(日)東京上野 「0になる瞑想会」

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『色即是空(しきそくぜくう)』といえば、仏教用語というか、これは「般若心経」に出てくる言葉です。

「色」とはざっくり言うと、この世界のあらゆる「物質」のことを指します。そして「くう 」とは、ざっくり“実体のないもの”の総称と思ってください。

物質は即、是(これ)、空である。

お経では、色即是空しきそくぜくう空即是色くうそくぜしき と並びます。つまり、

「この世のものすべての物質は実体がなく、同時に、物質ではないものは物質でもある」

という、意味のわからないことを言っているのですね(笑)

般若心経について書かれた書籍はごまんとあり、様々な洞察や見解があります。ネットでも色々と検索すると出てくると思います。

だから詳しいことはここでは言いません。

今回お話ししたいのは、僕が親父から色即是空の聞いた話です。

父は般若心経を暗記していて、よく唱えていました。歌もうまかったし、かなりいい声だったので、父の読経はとても好きでした。余談ですが、僕の声に低音の響きがあるのは、父からの遺伝だと思います。

僕が小学生の頃、父が般若心経のことを話してくれたのをよく覚えています。

こんな話でした。

「般若心境の教えってのは、こだわりを捨てろ、という様な話でな。例えば」

そう言って父は目の前にあった器を手に取る。

「このお皿におしっこを入れるとするだろ?」

「うん」

僕は何が始まるのかワクワクして聞く。父から思想哲学や宗教、歴史の話を聞くのは大好きだった。

「それからおしっこを捨てて、お皿を綺麗に洗って、なんなら消毒もしよう。顕微鏡で確認して、一切バイ菌がついてないことを確認する」

「う、うん」

「で、その皿に、水を入れてお前は飲めるか?」

もちろん、理屈ではわかっていても「飲みたくない」となる。当然小学生の僕も「うーん、なんか嫌だなぁ」と。

「なんで?キレイなんだよ?」

と父がからかうように尋ねる。

「うーん…」

なんでだろう…。さっきまでオシッコが入ってたお皿。洗って、完全に綺麗な状態だと分かっていても、なんか、嫌だ。

「汚いような、そんな気がする…」

「そうだな。理屈で分かっていても、そんな気がしてしまう。でもそれって、事実ではないよな?だって、本当はここには何もないんだから」

「うん」

「ということは、勝手に心が作り出したマヤカシのようなものだ。ひょっとしたらこれから、その心の作ったマヤカシのせいで、必要な時に、例えば水を飲めないとか、飯を食いそびれるとか、そいういうことがあるかもしれない」

皿が汚いのではなく、僕の心が、皿を汚くしているのだとわかった。とはいえ、やはりそこでおしっこを飲めるだろうか?切羽詰ったら飲むだろうけど…。

「これは皿の話だけじゃなくて、人間はそうやって変なこだわりを持つせいで、事実を見落としたり、間違った選択をしてしまうのかもしれないぞ?その心の仕組みを一言で言ったのが色即是空なんだ。そしてそのこだわりを捨てると自由に生きれるよ、ということが書いてるのが般若心経の教えだ」

と、そんな話だった。

元ネタは書籍だったと思いますが、父は話がうまい男だったので、子供ながらに僕はこの話にえらく考えさせられました。

今、自分の目に見えている物質。それは本当はなんの実体も持たない「空(くう)」なのだ。この2千年前の教えは、量子論などが解明されてから、妄想でも宗教的定義もなく「事実」としかわかった。すべては量子であり、すべては「ゼロ・ポイント」であり、「波」や「ゆらぎ」だと解明されていいます。

実体は、ない。仮に、「原子核」を物質とするとして。あなたという人間の肉体の原子核を一か所にまとめたら、ゴマ一粒の大きさもない。目視できないだろう。あなたの住む町内丸ごとの全物質の原子核を一か所に丸めて、耳掻き一杯分程度かもしれない。

つまり、我々は「すっかすか」であり、ほぼ「空間」である。そして、その空間も実は「波動」であり、原子核を構成する中性子や陽子も、クォークという素粒子であり、波動なのだ。つまり、すべて同じ物質であり、実体は存在しない。

それを「くう」と表現する。

しかし、我々はその実体のあるはずもない「空」に、勝手にあれこれとこじつけて、それこそ、オシッコだのウンコだのが「汚い」とか、あれが良いだの悪いだのとしてしまっている。

我々は「事実」に生きているのではなく、我々が勝手に作り上げた「意識」で生きている。それは言い方を変えると「まやかし」「幻想」「ビリーフ(信念)」「妄想」「思い込み」「勘違い」です。

子供の頃に教えてもらった、色即是空。

僕がやがて精神世界の探求から、世界を創る「空」を体験し、そのような知識を得ることになったが、原点は父の教えだったのかもしれない。

実際に小学生の頃に父から聞いた色即是空は、僕の心の奥深くに居座り、ずっと世界に対する大きな疑問の一つだった。その疑問が、探求を生み、僕の人生を作っていった。

晩年は学ぶことをしなくなり、人と会うことを億劫がり、政治とか行政の文句ばかり言っていた父だったが、子供の頃はいつも本を読んで、あれこれ学び、魅力的でカッコよかった。そして色んな話をしてくれた。おかげで、僕はちょっと周りの子供たちとは違った視点、というのを早くから手に入れていたと思う。感謝しています。

とはいえ「色即是空を簡単に説明する」なんてできません。だってそもそも、この世界の仕組みを簡単に説明した結果が「色即是空・空即是色」という語句なので、これでわからないのなら、逆にもっと噛み砕いて、体験を重ねて、研鑚しながら少しずつ理解していくしかない。

ただ、「空」はそもそも「知識」ではないので、学べばいいというものではなく、かと言って苦行だ修行だすればいいものでもない。だから「理解」という枠にも収まらない。だからトータル的に、だんだんと味わいながら、感じていくものだと思います。

だから僕だって「わかる」とか「理解してる」なんて言えない。「わかる」と言った時点で、そもそもそれは「空 」ではない。空という呼び名の概念や知識です。

もう一度言います。言葉にしている時点で、それは「空」ではないのです。

『空』に関しては「無」という概念も知っておいた方がまた深い洞察になるが、その話はいずれどこかで…。(むちゃ長くなりそうだから…)

もう一つ、「空」にまつわる話だ。こういうストーリーを淡々と読んだり聞いたりする方が、案外意識の変化に繋がる。

ここからはマガジン読者限定記事です。

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言葉の力で、「言葉で伝えられないものを伝える」ことを、いつも考えています。作家であり、アーティスト、瞑想家、スピリチュアルメッセンジャーのケンスケの紡ぐ言葉で、感性を活性化し、深みと面白みのある生き方へのヒントと気づきが生まれます。1記事ごとの購入より、マガジン購読がお得です。

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