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ステンドグラスと葡萄組合。

今回はイタリアを飛び出して、フランスのランスへとご案内します。2019年春にパリとランスに訪れていました。ランスと言えば、シャンパンの里。

TAITTINGER(テタンジェ)セラーにて

ステンドグラスが発展したフランスらしく、シャンパンの里にあるランスのノートルダム大聖堂には、葡萄からシャンパンになるまでの工程が、ガラス窓に描かれています。

こちらにも大聖堂のステンドグラスを1枚だけ載せています。

丹念に眺めると、ひとつひとつの工程が細かく描かれていて漫画みたい。製作されたのは1954年なので比較的新しい作品です。

葡萄の収穫は、8月下旬あたりから始まります。ちょうど今頃。いまも昔も、工程は一緒。

葡萄物語のステンドグラス

葡萄の収穫からシャンパンまで

ステンドグラスの絵を追いながら、工程を見ていきましょう。

まずはともあれ、葡萄収穫。

籠がいっぱいになったら、
セラーまで運搬。

天秤で重さを計ってる!

収穫高により、
支払額が決められていたの
かもしれません。



足でふみふみ。
発酵促進中。


収穫時に必要なナイフや容器の
道具が描かれてる、左右の挿絵。

発酵を終えたら、濾過して、葡萄の枝、皮、種を取り除き、ジュースだけを集めます。絵を見ると赤葡萄を収穫しているので、シャンパーニュ地方は、もともと赤ワインの産地だったんでしょう。

左は検査をする人。右は樽を作ってる人。
かな〜?

集めた葡萄ジュースは、樽に移し換えて
熟成させます。

ネズミが走り回っている(笑)

天秤があるけど、なにに使われたのかしら。
修道僧が一本づつ瓶詰め中。

右側は動びん(ルミュアージュ)中。瓶をグルっと回転させて、瓶内に溜まった澱(おり)をびん口に集めます。

こちらには、コウモリが飛んでいます。

左側は、おそらく、澱抜き(デゴルジュマン)。びん口を凍らせてシャーベット状になった澱を抜く作業。瓶には炭酸が入っているから、そのガス圧で澱がスポンと抜ける仕組み。危ないから樽の前で作業しているのかもしれません。



絵にはないけど、澱抜きを終えたら、糖度を調整して甘め辛めを決めます。その後に、コルクで栓をして終了。

空気を吹いて、瓶やグラスを作るガラス職人さん。

ランス街の二つの聖堂が描かれている!

左側は、テタンジェ・セラーの近くにあるサンレミ聖堂。右側は、ランスのノートルダム大聖堂。

実際はこちら。そっくり。

フランス語はわからないけど、Corporation du CHAMPAGNE とあるから、シャンパーニュ協会が寄贈したステンドグラスということでしょう。

ここでも、左右の挿絵に道具が描かれていて、なんという細かさ。

青いステンドグラス

ランスのノートルダム大聖堂で、もう1つ、というか、最も大切なもののひとつ。

シャガールのステンドグラス。

光を受けて輝くシャガールの青は、ステンドグラスならでは。聖堂内に落ちる青色は、空の色と海の色を合わせたみたいに、深く鮮やかで透明な青。

破壊と修復と再生と。

葡萄組合と、シャガールの作品の両方の作品を製作したのは、ステンドグラス・アーティストのJacques Simon(ジャック・サイモン)氏と婿養子のCharles Marq(チャールズ・マルク)氏。

1974年にシャガールのステンドグラスが完成しますが、1972年から2年間、チャールズ・マルク氏は、ニースにあるシャガール美術館の責任者としても任命されています。

祖父の代からランスのノートルダム大聖堂のフレスコ画とステンドグラスのメインテナンスと修復を受け継ぐ職人一家です。

葡萄組合の作品は1954年。シャガールの作品は1974年。どちらも比較的新しい作品です。でも、ランスのノートルダム大聖堂は、フランスのなかでも最古の筆頭です。

最後の審判の場面。
天国と地獄、どちらへ行くのか。
ランス大聖堂は496年、フランク王国の初代国王であったクロヴィスが、ランスの司教だったレミギウス(聖レミ)から洗礼を受けてローマ・カトリックに改宗して以来、歴代フランス国王の戴冠の秘蹟を授ける聖別式が行われるようになった。

百年戦争の英雄であるジャンヌ・ダルクはシャルル7世とともにランス大聖堂を訪れている。
Wikipediaより

なのに、どうして20世紀になり新しいステンドグラスが製作されたのでしょう。

古くなったから変えたということは、ありえない。

強制的に変えざるおう得なかった。

なぜなら第一次世界大戦中に砲撃に合い、屋根の一部が焼け落ち、半数近くの彫刻やステンドグラスが、粉々に砕け消失してしまったからです。

ランスの人々の心とも言える大聖堂が、一部とはいえ破壊され、さぞ落胆し失望したことでしょう。

わたしがパリとランスを訪れたのは、パリのノートルダム寺院が火災に遭う1週間前でした。

訪れたばかりの荘厳で美しい大聖堂が炎に包まれている様子をニュースでみて、とてもショックを受けたのを覚えています。

第一次大戦後のランスに、修復をするための費用はありませんでした。意気消沈していたところ、思わぬところから救いの手が差し伸べられます。

ジョン・デイヴィソン・ロックフェラー氏。石油王として財を成し、引退したのちは、慈善活動に力を注いだアメリカの大富豪。彼により、ランスに多額の修復費が寄付されます。

1924年より、破壊された屋根の修復が始まります。1918年に第一次世界大戦が終結した6年後のことです。1938年に修復は完了。

第二次世界大戦を挟み、その後に、葡萄協会とシャガールのステンドグラスが製作されるようになります。

大戦で破壊されてしまった教会は数多くあります。修復後は、残念ながら、ハリボテのような薄っぺらい仕上げになってしまった教会も多くあります。

ランスのノートルダム大聖堂内は
ステンドグラス尽くしです。

修復費が足りなかったり、破壊される前の姿を文献に収めていなかったり、理由は様々だと思います。

20世紀のステンドグラスが、過去と調和しつつ、新しい風を吹き込んでいる、ランスのノートルダム大聖堂は、とても恵まれた教会のひとつといえるでしょう。

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最後まで読んで頂きまして
ありがとうございます!

次回はイタリアへ戻ります。
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