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たまにローマ

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幾重にも折り重なった時を紡ぐローマ。空いっぱいに広がる青空と、そこに映える、大きな建物。この街に浸透する豊かさとは? ローマへは、展示会があるときに赴くことが多いので、そのときに… もっと読む
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アートと生きた、女性の戦士たち。ローマ編 n.3。 時間との勝負。

ロトンディの避難所 1941年。わずか35歳の若さで国立近代美術館の館長の座を得たパルマ・ブカレッリ。イタリアが大戦に参戦して14ヶ月が過ぎようとしていた。 1938年の時点で、ジュゼッペ・ボッタイ文化政策大臣は、イタリア所有の芸術品が強奪されるかもしれない危機と、戦争が勃発したときの被害を察知し、全国の美術館館長に、所蔵する作品を3つのグループに分けさせ、その保管方法の指示を出していた。 省庁の担当者、美術史家、司教が電話で話す時は、作品の移動日や隠し場所を部外に漏れ

解放されたアートと勇士たち。 n.7 - もうひとりの英雄と、戦後の勇士たち。

ローマで開催された展示会「救われたアート 1937年〜1947年」をもとに、美術館で鑑賞するのとは異なる、アートの歴史をご案内します。 これは、戦時中に自分たちの命をかけて、アートを守る勇士に身を転じた、美術館の館長達の物語です。 ***** もうひとりの英雄 イギリス人のアントニー・クラーク。 1944年。彼は、ドイツ軍が駐留している、トスカーナ地方サンセポルクロ街に爆弾を投下する任務を受けていた。 爆弾を仕掛け、あとは発火するのみ。 作業前から、ずっと気にな

解放されたアートと勇士たち。 n.4 - 砲撃をくぐり抜け車を走らせる。新たな救出作戦。

ローマで開催された展示会「救われたアート 1937年〜1947年」をもとに、美術館で鑑賞するのとは異なる、アートの歴史をご案内します。 これは、戦時中に自分たちの命をかけて、アートを守る勇士に身を転じた、美術館の館長達の物語です。 ***** 朝日が昇る前の午前4時に、大学生になる娘をそっと起こした。さあ、わたしがいま言ったことを繰り返してごらん。 極秘任務なので、いまから行くルートを誰にも知られてはならない。万が一、自分になにか起きた時のために、娘に行き先だけを告げ

解放されたアートと勇士たち。 n.6 - イタリアの無名の英雄たち。

ローマで開催された展示会「救われたアート 1937年〜1947年」をもとに、美術館で鑑賞するのとは異なる、アートの歴史をご案内します。 これは、戦時中に自分たちの命をかけて、アートを守る勇士に身を転じた、美術館の館長達の物語です。 イタリアを代表する都市、ミラノ、ヴェネツィア、フィレンツェ、ローマ。この4都市以外の館長達も、必死に作品を救出しようとする。 トリノ 「ジェット機のノエミ」という異名を持つ、トリノのサバウダ美術館の女性館長ノエミ・ガブリエッリ。トリノから約

解放されたアートと勇士たち。 n.5 - ミラノ、ベニス、フィレンツェ、ローマの館長たち。

ローマで開催された展示会「救われたアート 1937年〜1947年」をもとに、美術館で鑑賞するのとは異なる、アートの歴史をご案内します。 これは、戦時中に自分たちの命をかけて、アートを守る勇士に身を転じた、美術館の館長達の物語です。 ミラノ、ベニス、フィレンツェ、ローマ。 イタリア観光旅行の定番都市。この4都市も戦争を回避することはできなかった。 ミラノ 女性初のブレラ美術館館長。ハンガリー出身の母親を持つ、フェランダ・ヴィトゲンス。 大学で美術史を学び優秀な成績を収

解放されたアートと勇士たち。 n.3 - 奇跡の木箱

ローマで開催された展示会「救われたアート 1937年〜1947年」をもとに、美術館で鑑賞するのとは異なる、アートの歴史をご案内します。 これは、戦時中に自分たちの命をかけて、アートを守る勇士に身を転じた、美術館の館長達の物語です。 前回のあらすじ。 南イタリアからの作品を避難していたモンテカッシーノ修道院から、別の避難場所への道中に、ドイツ軍に停められ、ゲーリングの側近により選別された作品が運び去られてしまう。 ****** パスクアーレ・ロトンディ。 マルケ州の

解放されたアートと勇士たち。 n.2 - 開戦

ローマで開催された展示会「救われたアート 1937年〜1947年」をもとに、美術館で鑑賞するのとは異なる、アートの歴史をご案内します。 これは、自分たちの命をかけて、アートを守る勇士に身を転じた、美術館の館長達の物語です。 ***** 1940年 マルケ州の美術館や芸術作品の責任者で、美術史家でもあるパスクアーレ・ロトンディの管理下のもとに集められた作品は、ウルビーノのドゥカーレ宮殿の地下に保管されるが、宮殿の周囲に多くの軍隊がいるのが気になる。 イタリア軍が武器庫

解放されたアートと勇士たち。 n.1 - 戦争前夜

ローマで開催された展示会「救われたアート 1937年〜1947年」をもとに、美術館で鑑賞するのとは異なる、アートの歴史をご案内します。 これは、自分たちの命をかけて、アートを守る勇士に身を転じた、美術館の館長達の物語です。 高く積まれた砂袋。その奥にあるのは。 世界の至宝といっても過言ではない、レオナルド・ダ・ヴィンチの最後の晩餐。 最後の晩餐が描かれている、サンタマリアグラツィア教会。戦後に再建されています。 1943年8月の連合軍によるミラノへの集中砲撃により、

ローマにある、歴史の玉手箱。Palazzo Massimo - n.2/2

大理石から、フレスコ画に移っても、これですもん。海中での海戦を見ているようで、躍動感に満ちています。 タコが、魚とエビを仕留めているシーン。魚はウツボかしら。歯を向いて抵抗しているのを、タコがむんずと掴み押さえ込み、さらに、エビにまで足を伸ばしています。 魚のモチーフは良く登場しますが、こちらは釣りの様子。船の先端からひき網漁をしていたり、オールを漕いだり、イルカに乗っていたり(!?)、イキイキと描かれています。 展示されている、ひとつひとつに力があり、見ていて、とても

ローマにある、歴史の玉手箱。Palazzo Massimo - n.1

今回は、ローマに移動します。 車、バイク、バスの騒音が鳴り響く雑踏としたローマ市テルミニ中央駅の前に、風景として馴染んている、立派な建物があります。 マッシモ邸宅、ローマ国立博物館です。 ローマの観光といえば、コロッセオ、バチカン美術館、トレビの泉、スペイン広場、パンテオン、ナヴォーナ広場と、枚挙にいとまがありませんが、紀元前まで遡る珠玉の作品が、ローマ国立博物館に展示されているのをご存知でしょうか。 今回は、たまに訪れては、感嘆をもらしつつ、恍惚に浸る、お気に入りの

ローマに秘められた、天体回廊。

前回で「天文のテーマ」は終えるはずでしたが、ローマへ行く計画が浮上し、今回は引き続き第二部です。 なぜローマで第二部かというと、ローマには、科学とアートが融合した素晴らしい作品が残されているからなんです。 前回の記事のきっかけになった「アートと科学」という小冊子を、この夏に読んでいて、すごく驚く発見があり、びっくりして、機会があれば、ローマに行ってみたい!と望んでいたのです。 今回は、体験してきたことを、お話しします。 フィレンツェからローマへローマで見たい展示会が、

ローマで、ダンテと地獄巡り。

2019年ぶりのローマへの旅。フィレンツェからは、新幹線で1時間30分ほどの距離なのに、コロナ禍で、近くて遠い、永遠の都。 行きは元国鉄のトレニタリアにて。スタンダート、プレミアム、ビジネス、エグゼブティブの3タイプにクラスが分かれています。 プレミアム以上だと、こんな感じに、お菓子、ジュース、水を、サービス(無料)で頂けます。 二人組のスタッフがワゴンを引いて、甘いお菓子と、甘くないスナックと、どちらがいい?と聞いてくるので、好きな方を遠慮なく頼みましょう! 乗車中

ローマを、歩いて、見て、楽しんで。

ヴァチカン美術館やサンピエトロ寺院へ訪れないなら、地下鉄もバスも使わずに、意外に徒歩で周れるローマ。ブラブラ歩いていると、観光名所じゃなくても、素敵な路地やお店に出会うこともあり、それが、また、楽しい。 窓の角の部分をシンプルに直角にすれば、作業工程も楽だと思うけど、「あえて」曲線にすることで、気品や洗練された雰囲気を醸し出し、ちょっとした曲線の美が、建物をエレガントに仕上げています。 壁のオレンジ、鎧戸のグレー、窓枠の白。色使いも素敵です。 観光地トレビの泉。人は多い

チョコレート・ストーリー。

クリスマス時期に、なにか、ほっこりする物語をお届けして、心も温まって頂けたらと思い、ご紹介します。 お店との出会い小雨が降り、冷え込んだローマの片隅。薄暗い路地のなかに、ぽぉっと、暖炉のように優しい光に導かれて、お店を覗いてみると、お客さんは誰もいない。入ろうか一瞬迷ったけど、寒かったし、お店のドアを押してみた。 内装、家具、包みのリボンが、フェッラーリの、鮮やかな赤よりも、ずっと、くすみのある赤で、統一されてて、大正浪漫のような、1900年初期の残り香がするようなレトロ