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なぜあのカフェは、サラリーマンも家族連れもカップルも同時に幸せにできるのか?

大雨が上がった夏の夕方。

普通は気温が下がって気持ちあいいはずなのに今日もジメジメ。


こんなときは涼しいカフェに行くに限る。最近はコーヒ−じゃなくてココアをよく飲んでいる。


僕がよく行くカフェは、あるデパートの一角にあるとても大きいスターバックスだ。平日の今日もほとんど席がギッシリと詰まっている。人が多い。

デパートなので、家族連れも多い。僕が座っている席のすぐ隣でも、小さな子どもが走り回っている。僕も小さかった時は、よく走り回ったなあと思いにふける。


そんな騒がしいあのカフェの中でも、なぜか僕は集中して作業に打ち込むことができる。人が多いところは苦手なのに、だ。


天敵は花火大会や遊園地、12時過ぎの学生食堂、タピオカの行列、とこんな話はどうでもいいか(笑)


そしてどうやら、この感覚は僕だけじゃないらしい。あのカフェでは僕と同じように長時間集中して勉強に取り組んだり、仕事に集中したりしている人たちが沢山いるのだ。


まあ、店的にはいいのかどうか分からないけども(笑)


今日はそんなあのカフェの不思議な空間について、ある一つの特徴を発見したので書いていこうかなあって。


ごゆるりと見ていってね〜




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なぜあのカフェは、サラリーマンも家族連れもカップルも同時に幸せにできるのか?



次の状況を、あなたはどう思う?


あなたは今、昨日買った本を片手にカフェに入った。以前から楽しみにしていたお気に入りの本だ。


さあ、読むぞ〜と1ページ本をめくった時、すぐ隣の席で赤ちゃんが泣き出してしまった。お母さんが必死にあやそうとしても、なかなか泣き止まない。

さて、あなたは本に集中できないばかりか、そのお母さんの気まずい空気を汲み取ってしまい、少しその場に居づらくなってしまってはいないだろうか?


しかもあなただけではなく、そのカフェにいる人が皆なんとな〜く皆気まずい空気を読み取り、必死にスマートフォンや本の中に逃げ込もうとする。この空間がこれから居心地よくなっていくイメージを持てる人は多分いないだろう。


一方僕の通っているカフェでは、ある工夫がなされていることによってこの負の連鎖を断ち切ることができるようになっていると思われる。





それは、それぞれのテーブルを島で区切り、役割を与えていることだ。




↑図にしてみるとこんな感じである。(適当、笑)↑


僕がよく行くスターバックスには、様々な席の体型がある。孤立する二人用の席が並ぶ島、ソファが締めている島。長机にコンセントがある島。そしてそれぞれ人が座る向きもバラバラになっている。


カフェ内に席の種類や向きを調節することで、それぞれの空気を作ることができると私は感じた。たとえ自分の席から近い場所で赤ちゃんが泣いていたとしても、そのテーブルの種類や向きが違うことで、互いが別の空間として捉えることができる。


よって長机で作業している牧野サラリーマンは、すぐとなりにあるソファ席で泣いている赤ちゃんを認識しても気を取られることはない。泣いているなぁ、くらいで自分の作業に集中することができる。


一方、僕たちのようなパソコンカタカタ野郎が近くにいても、熱々のカップルは嫌な気がしないだろう。なぜなら彼らは皆が作業している長机ではなく、独立した二人用の席で十分にパーソナルスペースを確保できるからだ。


だから僕たちは多少混雑しているこのカフェに来ても、自分の空気を大切にできて、居心地のいい時間を過ごすことができるのではないだろうか、と思う。




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カフェは意志を持ったスペースではない。さほど迷惑をかけない限り、どんな気持ちで何をするかは個人の意志に任される。パブリックに近い場所だと考えられる。



その場所を本当の意味でみんなが気持ちよく使うためには「みんなで気持ちよく使いましょう。」といった張り紙を大々的に掲げる他に、もっとやるべきことがあるはずだ。



それぞれのスペースに役割を与え、来てくれるお客さんの顔や話し声を想像し空間をデザインしていくこと、それこそが一つの答えなのではないか。



そんなことを思った平日の午後だった。



おやおや、今日は久しぶりに沢山書いたなあ。それではこの辺で、僕は休憩するとします。



また、よってってくださいな。



さくら


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他にも、よっていってくださいな。(^^)



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