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[そして、神話になる。]

お盆明けから1週間たちますが、大雨被害の復旧工事が各地で続いています。被害に遭われた方のご冥福と、一日も早い復興をお祈り申し上げます。また、長期化するコロナ禍のもと、奮闘を続けてくださる医療従事者の方々に感謝とエールを捧げます。

さて、今回は、今年のフランス革命記念日に逝去したクリスチャン・ボルタンスキーにまつわる、ごくごく個人的な思いを綴りたいと思います。

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今さらボルタンスキーのことを書くのは、家でお盆の祭壇を整えているときに、このアーティストを思い起こしたからだ。2019年の個展「Life Time」の図録に掲載されていた、ボルタンスキーと日本のお盆にまつわるエッセイを、先月読み直したばかりだったからだろう。
ボルタンスキーはあまりにも知られたアーティストなので、ここではその説明に文字は割かない。ただ、彼は、「アートをみることは、自分と向き合うこと」と、その作品を通じて強く私に示唆してくれたアーティストのひとりだった。

ボルタンスキーの作品を初めてみたのは、私が現代美術にほんの少し興味が湧いたばかりの頃。作品を前にしても「何をどのようにみたらいいのか?」「この作家は何がいいたいのか?」「この作品から何を感じたらよいのか?」、と疑問ばかり先行していた時期だ。当時、誰の展覧会かなど意識せず、手当たり次第に作品をみていた。

そんなある日、たまたま旅先で足を踏み入れた展示室はほの暗く、ぼやけた表情の古い写真がぼおっと浮かんでいるような空間だった。少々ホラー感が漂う場に、ドキドキしたことを今でも覚えている。
作品は、まるで亡くなった人たちを弔う祭壇のようだった。写真の中の子どもたちの顔立ちから、ホロコーストに関する作品なのかなと勝手に思った。

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クリスチャン・ボルタンスキー《モニュメント》1986年
「Life Time」より展示風景  画像=筆者撮影

子どもたちはホロコーストの犠牲者、と推測してみていたせいか、しばらくその祭壇の前にいると、少し前に亡くした友人の気配を感じた。もしかすると、作品の様子とクリスチャンだった友人の葬儀の雰囲気が重なって、そのように感じたのかもしれない。
そこから生前の友人との時間を思い起こし、自分が生きているということ、あちら側のことをぼんやり考えていた。次第にその展示空間が、まるであちら側とこちら側の“あわい”のようなものにも感じられたことを思い出す。

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クリスチャン・ボルタンスキー《シャス高校の祭壇》1987年 横浜美術館蔵
「Life Time」より展示風景  画像=筆者撮影

作品からどんなことを感じたのか、考えたのか。そして、作品と自分の体験を結びつけ、改めて作品をみること。それらを意識したのは、これが初めてのことだった。
それまでは、乏しい美術の知識とそれまで学んだ歴史や社会背景に結びつけては、作家が何をメッセージしようとしているのかという正解探しばかりに気を取られていたと思う。しかし、この体験が、正解をみつけることだけが鑑賞か?という疑問を私に植え付けた。

このとき出会った作品が、たまたま「生と死」という、人なら誰もが体験することに関わっていたから、作品を自分に引き寄せてみることができたのかもしれない。ただ、「生と死」という主題の作品だからといって、このときのように、直接気持ちを揺さぶられるものは少ないと思う。


2000年代に入り、ボルタンスキーの作品は、日本国内で開催される芸術祭でたびたび展示されるようになる。興味深いのは、それらの作品が鑑賞者のアートへの興味に関わらず、強烈な印象を残すことだ。

例えば、2012年の大地の芸術祭(越後妻有アートトリエンナーレ2012)で同行したTさんは、消化しきれないほど多くの作品の中で一番印象に残ったのが、ボルタンスキーの《最後の教室》とキナーレ前に設置された《No Man's Land》だったという。
Tさんはアートにあまり関心はないが、自転車イベント・ツールド妻有へ参加するついでに作品巡りをした人だ。

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クリスチャン・ボルタンスキー《最後の教室》2006年
「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2012」展示風景
画像=筆者撮影

理科室から続く廊下。心臓音に合わせるように、電球が点滅する

《最後の教室》では、暗闇で感じた少し青臭い匂いとブ〜ンという扇風機の音、そして理科室で味わった心臓の鼓動音に揺さぶられたそうだ。今は使われていない学校に、かつて居ただろう誰かの痕跡を感じ、今もそこに居るのではないかとも感じたという。同時に、生きていること、存在することの意味を思わず考えさせられたそうだ。

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クリスチャン・ボルタンスキー《No Man's Land》2012年
「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ2012」展示風景
画像=筆者撮影

古着の山に圧倒された《No Man's Land》は、古着を掴み上げるクレーンの唸る音が耳に残る作品だ。古着の山にハラハラと落下していく服の様子に、わたしたち人間の姿を重ねたのは私だけではないだろう。
Tさんからは、今でもときどきこれら2作品の話が出てくる。

2019年に国立新美術館で開催された「Life Time」展で、ボルタンスキーの作品を初めて体験したというYさんは、自身が感じたボルタンスキー像をこう話す。「もともとあの世の住人で、作品をつくるときだけ蘇っているような人ではないか」。

Yさんはとくにアートファンでもないし、ボルタンスキーのことを知っていたわけでもない。事前に情報を集めてから展覧会に行ったのでもないそうだ。それでも、死者と対話するアーティストを感じたという。

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クリスチャン・ボルタンスキー《174人の死んだスイス人》1990年
広島市現代美術館蔵
「Life Time」より展示風景  画像=筆者撮影

挙げたのはたった2例だが、ボルタンスキーの作品について、TさんやYさんと似たような話をあちらこちらで聞いた。
ボルタンスキーの作品には、それぞれ作家がこめた幾重にも重なる思いがあるだろう。でも、私たちがその作品を前にしたとき、ごくごく自然に“自分ごと”として作品を考えること、それを強制するような“強さ”を持っていると感じる。

晩年のボルタンスキーは、「自分を神話にする」と公言した。その作品が設置された場を、人々が巡礼するような仕掛けを作品の中に潜ませている。豊島の《心臓音のアーカイヴ》もその一環だそうだ。
しかし、そんなことをしなくても、その作品の強さを鑑賞者たちが語り継ぎ、すでに神話化しているのではないかと思うのだ。

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クリスチャン・ボルタンスキー《アニミタス(白)》2017年
「Life Time」より展示風景  画像=筆者撮影

死者の魂が家族のもとへ帰り、家族と寄り添う日本の“盆セレモニー”に関心を寄せたというボルタンスキー。今夏はまだ初盆を迎えていなかった彼の魂は、今、どのあたりを旅しているのだろうか。

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改めて、クリスチャン・ボルタンスキー氏のご冥福をお祈りします。

アートハッコウショ ハッコウ係 染谷ヒロコ

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