ものまね阿房列車 御殿場線 その2

 電車は横浜を過ぎて大船に着いた。車窓から大きな観音様が見える。昨年、久しぶりに飲み仲間に誘われて初めて大船で飲む機会があり、皆と集まる前に観音様を拝んでいこうと少し早めに来たのだが16時で閉門となっていて訪れることができなかった。大船の観音様には昔家族と一緒に遊びに来て写真を撮った思い出があり、数十年ぶりの再訪を楽しみに向かったのだが叶わず残念であった。今日も山頂に白く輝く姿を見て、近いうちにまた来てみようと思う。

 大船から先を東海道線で行くのは随分と久しぶりのような気がする。藤沢、辻堂と過ぎていく。辻堂には四歳くらいまで住んでいて、だから大船の観音様にも遊びに出掛けたのだと思うが、車窓から見る辻堂に四歳の時に見た記憶はまったくなかった。平塚、大磯にも何回か遊びに来たことがあるが今はただ通り過ぎていくだけだ。線路はそろそろ平野から山に向かい、左手には相模湾が見えてくるはずだが、海側を背にしているシートなので車窓から見えるのは山の風景である。もう梅も咲き始めている。
 品川から改めて乗り込んだこの電車の国府津着は10時51分で、本来予定していた御殿場線は国府津を10時50分に出るからやはり当初の計画通りの電車でなければ乗り継げないのだが、もしかしたらダイヤの乱れもあるかもしれないと淡い期待を抱きつつ国府津に入線すると、果たして向かい側の御殿場線のホームには電車の姿はなく、時刻表通り一時間後の11時50分まで待つことになった。1分の狂いも許さぬ我が国の鉄道の運行の正確無比さに改めて感心した。

 国府津駅のホームは三つあるがどこにもキオスクや立ち食いそば屋はない。長いホームの先の方まで行ってみたが特にいい景色でもなかった。前の方に戻ってベンチに座り電車を待つことにする。出発までおよそ一時間。朝は薄曇りだった東京も、ここ国府津では雲一つない快晴で、真冬なのに暖かい日差しがホームに注いでいるので電車を待つのは苦ではないどころか、思いがけないのんびりとしたひと時が有難くも感じる。百閒先生もここ国府津で二時間待ち合わせたが、それはへそ曲がりからくる自業自得のようなもので、しかも山系君と一緒だから本降りの雨の、雨垂れの水がじゃあじゃあ落ちてくるベンチで何をするわけでもなく電車を待っていたのと比べるとはるかに優雅な待ち時間に思えてなんだか得をしたような心持ちになる。東海道線のホームには電車が頻繁にやってくるが、御殿場線は折り返し回送となるのが一本来たきりで、本当になにもすることがなく電車を待っていたら11時20分に折り返し沼津行きの電車が到着した。結構多くの人が降りたが乗り込むのは私のほかに三人くらいしかいなかった。ホームで30分、車中で30分、丁度半々で待つことになり、途中で気分を変えられるようなお膳立てをさせられたようで何だかそれも嬉しい。どうせだから先頭の車両の運転席のすぐ後ろの席に座った。正確に言うと運転席がある左側ではなく右側の席に座った。運転手の背に遮られずに、進行方向の真正面が見える特等席である。展望車のようだというと少し大袈裟だが、一時間も待ち時間があったからこそこの席に座ることができたと考えると、早く着くのも案外いいものである。このシートは二人掛けなのでほかに客が座ることもないだろう。乗り継ぎのいい列車に乗っていたら普通にロングシートに座っていただろうから、高崎線と東海道線が直通にならなかったのは僥倖だったのかもしれない。
 また電車が入ってきて国府津止まりだったが、なにやら駅員の人たちが何人も乗り込んでいく。今日はこれからうんたらかんたら、ではよろしくお願いしますと言っていたので研修かなにかであろうか。十人くらいゴミ袋のようなものを持って乗り込んでいったが、何の研修なのだろうか、気になる。
 そうこうしているうちに結構人が乗り込んできた。東海道線と御殿場線との乗り継ぎのいい列車に乗ってきた人たちだろう。時間帯は違えど私もそのように予定を立てていたのだが実際はたっぷりと待ち時間を堪能することができたから効率よく乗り継ぎをする人は勿体ないことをしていると思うようになっていた。乗りなれていない路線には、少し空き時間があるくらいの方が旅の情緒が出るのかもしれない。まあしかしそれも用事がある旅ではないからそう感じるまでで、用事があるならそれに合わせて効率よく旅程を組むのが筋だと思う。ともあれもうすぐ発車の時刻で、国府津から沼津までおよそ100分をしっかり楽しもうと思う。ん? 100分? そんなにかかるのか。東海道線の倍くらいかかるのかもしれない。百閒先生が乗りそびれて二時間待つことになり、乗り継ぎの不首尾を駅長に問いに行ったが、沼津までなら東海道線が何本も出るからそちらで行かれればいいでしょうと駅長に言われて、「でも御殿場線で行くのです」「何か御殿場線の途中で用事でも?」「いえ、用事はないけれど御殿場線で行くのです」「はあ」と言われてそれっきりになる、そんなやりとりを読み返して、ようやく似たような沼津行が味わえるのがなんだか嬉しくて、いよいよ発車の時間となりそわそわする。ところが時間になっても出発しない。48分着の東海道線が遅れているのでそれを待って出発するという。成程。私が乗ってきた時刻表通りに51分に着いた東海道線は50分発の御殿場線と乗り継ぐことはしない(できない)が、48分着の東海道線が数分遅れなら50分発の御殿場線を少し遅らせて乗り継げるようにするという。これまたなんと百閒が乗り遅れたときと同じ状況なのが面白い。百閒一行の時は東海道線が6、7分遅れていたところを御殿場線がそろそろと徐行運転をしながら乗客が乗り継ぐのを待っていたが、へそ曲がりの百閒先生は列車の都合で遅れた時間を自分の早足でもって時間を取り戻すのは理不尽だと考えて走らずに歩き、動き出した列車は遅い速度で乗客が乗り込むのを待っていたが、そも動き始めた列車に乗り込むことは本来してはならぬことだからするつもりはないと乗り込まずに結局目の前で乗れる列車に乗らずに二時間待つことになったのだが、鉄道会社からすれば乗り継ぎ客をきちんと乗せるまで手はずを整えていたというのが今も昔も変わらないし、今日のこの東海道線からの乗り継ぎ客はしっかり全員乗り込ませてから発車したし、昔から時刻表通りの運行に努めているのが日本の鉄道なのだと実際に知ることができて何だか今日は本当に御殿場線に乗りに来て良かったと思う。

 そんなこんなで御殿場阿房列車は4分遅れで出発した。

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