ものまね阿房列車 御殿場線 その3

 国府津を出たときには複線かと思ったが一分もしないうちに線路は二本に分かれ、別れた先は車両基地へ行った。百閒が阿房列車で乗ったときもすでに単線になっており、かつての東海道本線としての威容を知っている百閒にとってはかなりの衝撃だったようだ。そこから先は長閑な風景の中、まっすぐな一本道が続く。程なく到着した二駅目の上大井で早くも対向列車を待ち合わせる。この先何度も待ち合わせがある。だから沼津まで時間が掛かるのかと納得。ここでは学生が何人か降りたから高校か何かがあるのかもしれない。

 電車は進み、小田急線と交わる松田駅では駅のすぐ先の壁に松美酒造と大きく書いてある。聞いたことも飲んだこともない日本酒は全国各地にまだまだあるので今度飲んでみようと思う。或いは酒蔵見学などもしているのなら行ってみようかと考えたりして、気分はすっかり小旅行である。
 この先から少しずつ景色が変わる。町から山になる。遠くまで見晴らせていたのに線路沿いの木々が段々高くなりはじめ、遠くの方から徐々に山波が迫ってくる。目の前に見えるのは東名高速道路かなあなどとぼんやり眺めていると、線路は山北駅手前で大きく左にカーブし、突如として目の前に富士山が現れてびっくりした。もう少し先に行かないと見えないと思っていたからカメラも鞄の中にしまいっぱなしで撮影の機会を逃してしまった。これまで何度か御殿場線に乗ったことはあったが、それまで全く気付いていなかった。駅に着く前に富士山は隠れてしまったが、まあいい。まだこの先何度も見ることができるだろう。雨で見られないということもないのであまり惜しくもない。山北駅でまた少し停車した。勿論昔と違って山を登るのに機関車を連結するためではなく単にダイヤのせいだろう。
 先頭の車両のその少し左前方の線路脇に小さな公園があり、親子連れや老人たちがたむろしていた。ちっちゃな子どもが電車に向かってしきりに手を振っている。すると電車はピーっと汽笛一声、子どもらにあいさつをして動き始めた。

 山北駅を出るとすぐ先にトンネルがあり、箱根第一号と書いてある。この先何号までトンネルがあるかは知らぬが、鉄道唱歌で言う「出でてはくぐるトンネルの」という景色になると百閒先生も書いていた。いくつかトンネルをくぐり、曲がりくねった川も何度か鉄橋で渡り、深山幽谷とは言わないが先ほどまでの町の景色はもうない。だがこの景色が実に懐かしい。何度か御殿場線に乗ったことがあると先ほど書いたが、ここまでは来たことがあるのだ。来たことがあるというか、三四回来たことがあるのはすべてこの先の谷峨に行くためで、国府津を出発して二十数分、見覚えのあるとんがり屋根の駅舎の谷峨に着いた。谷峨には化石を採りに数度来たのだが、その話は今日は関係ないので電車に乗り続けたまま話を続ける。駅を出ると電車は川沿いから逸れて足柄茶と書かれた看板のトンネルをくぐってさらに山奥へと登り始めた。足柄茶は神奈川県のお茶だが、トンネルの先の次の駅は駿河小山駅で、もう静岡県になる。
 その駿河小山の駅の手前で目の前がさーっと開け、また富士山が見えた。先ほどは神奈川県から借り物の富士山を眺めたが、今は静岡県の本物の富士山を眺めている。空は青く晴れ渡り、いくつかの雲が山にたなびいている。電車の中は暖かく、雪をかぶっている富士山を車窓から眺め、ものまね百閒先生である私はもうご満悦である。阿房列車では雨にけぶって富士山を見られなかった百閒だが、何度も乗ってきた路線なので雨雲に隠れた向こうの山並みを心に思い浮かべるという楽しみ方をしていたように思う。私もこれで一度眺めたので、もし次に御殿場線に乗ることがあって、もしその日が生憎の雨だったとしても、雨に煙って見えぬ富士を思い浮かべつつ車窓を眺めるという高等技術を駆使することができるのだと思うとまた雨の日にわざわざ訪ねてみようかと思う。
 駿河小山駅は開業当初からある七つの駅のひとつで、阿房列車で百閒は「谷峨と云ふ、昔はなかつた駅を過ぎて、駿河駅に著いた。昔の小山駅である」と書いてある。ということは最初は小山駅で、それが駿河駅に変わり、今では駿河小山駅というわけである。溜池山王とか王子神谷とか、今の折衷案の駅名の先駆けなのであろうか。
 その駿河小山から先はずっと富士山を見られた。青空を背景に頭には雪を抱き、裾から吹き上げる風に雲が早く流れて刻々と変化している。その姿は美しい曲線にふちどられ、優美だが動じぬどっしりとした安定感がある。新幹線や東海道線から眺める普段とは見慣れぬ角度だからか、やや違う形の富士山を眺めていると何だか現実とは少しだけ違った異世界に迷い込んでしまったようなフワフワとした妙な感覚になる。田舎の単線の電車の独特の大きな揺れも手伝っているのかもしれない。

 御殿場駅に着くと多くの人が降りた。十分ほど停車するという。ホームの向かい側には特急ふじさんが停車していた。青い車体が恰好いい。百閒が見たら乗りたがったろうか。停車で開け放たれたドアから冷涼な空気が入り込んでくる。最初は新鮮な気分だったが、一分もしないうちに寒くなった。日差しは強いが気温は低い。御殿場駅の標高は御殿場線で最高地点の457メートルである。国府津駅は目の前が海で、そこからぐわっと盛り上がっているところにあるから、海沿いでも標高は20メートルもあるのだが、それでも400メートル以上の標高差がある。標高100メートルで気温は約0.6度下がるというからざっと3度くらい国府津より低い。御殿場線出発時の国府津駅のあのポカポカ陽気は、ドアを開け放っているここ御殿場駅には、ない。寒い。ドアを閉めるボタンか、早く発車してほしい。

 御殿場を発車してしまえばあとは下りだけである。一瀉千里の勾配である。そういえば阿房列車ではスイッチバックがあり、山系君が百閒に教えていたが、その名残は見逃してしまった。今でもあるのかどうか分からないが、分からないのは百閒が昔は「スヰツチ・バツク」などなかった、というくだりである。御殿場からの下りだから件が気になるというわけではないが、開業時にスイッチバックがなくて、後からスイッチバックができたというのはどういうことなのだろう。阿房列車で「スヰツチ・バツク」していた富士岡駅や岩波駅でも特段そのような急勾配は感じなかったが、今は整備されたからだろうか。いや抑もなぜ後からスイッチバックしたのだろう。元々の東海道本線にスイッチバックはなかった筈だと百閒は訝しんでいる。そう書いてあったが私はあまり鉄道に詳しくないし、今の御殿場線にスイッチバックはないのだから知りようもなく、この話題に関してもいつまでもスイッチバックせずにそのまま先へ向かうことにしよう。

 この付近では車窓から富士山まで遮るものがあまりなく、その偉容を存分に堪能することができる。晴れていて良かった。そして頂上には先ほどから白い雲が渦巻き、山裾から風が吹き上げてどんどん雲がたまっていくようである。そのうち姿を隠してしまいそうだから早めの時間帯に来て良かった。
 富士岡駅に停車したのはわずかな時間だったがここからの眺望も素晴らしかった。富士山を眺めるためではなく只単に御殿場線を乗りに来たのだが、何だか今日はこの富士岡駅から富士山を眺めるためにわざわざ自己流阿房列車を発車したような気がした。いや、もう全然阿房でもなんでもなく、利口列車とか至宝列車とか云う方が合っているような気がする。生憎この駅では対向列車の待ち合わせはなく、十数秒で発車してしまった。ここで待ち合わせてくれればいいのに。でもそれは阿房列車の乗客が思うことであって、普段使いの乗客にしてみれば、待ち合わせの時間なぞない方がいいに決まっている。

 下り行く車窓を眺めていると、昔の複線の名残りを今もまだ見つけられることに驚いた。鉄橋の名残りは分かりやすいが、線路端のすすきの茂みや草むらや土手なども、ひっそりと佇んでいるが線路があった証であろう。御殿場までの登り区間では気付かなかった。山北駅から先のトンネルや鉄橋にも、複線だった名残りはあったのだろうか。売っぱらった鉄橋や閉鎖したトンネルを整備して今はもう分からなくなっているのかもしれない。ここを特急が走っていたということが俄かには想像しづらい。あ、今でも特急ふじさんが御殿場まで走っているのだから、今度は特急ふじさん阿房列車を企ててみるのもいいかもしれない。
 岩波駅から先は茶畑も多くなってきた。沼津茶というのかどうかは知らぬが、富士の麓であれば水も清らかでさぞいいお茶ができるだろう。茶どころ静岡に入った感がある。そうこうしているうちに電車は大岡駅に着き、もう市街地の様相を呈し、程なく沼津駅に着いた。

 着いたホームの対面から国府津行きの列車が出ようとしている。それに乗り込むこともできるが、御殿場線を乗り切るという目的は果たしたし、当初から帰りは東海道線で戻ろうと考えていたのでやめた。意外なほど乗客が多かったので乗りあぐねたというのもある。東海道線なら混んでいても仕方がないけれど混んでいる御殿場線には乗りたくないという、理不尽だけれど何となく自分でも納得できるこの気持ちは何なのだろうか。

 沼津で降りて、後は戻るだけである。成程、百閒先生が言うように、いざ戻るとなると戻らざるを得ない義務感があり面白くない。朝の品川駅では今日沼津に行っても行かなくてもどっちでもよかったが、ここ沼津駅から品川まで行っても行かなくてもどっちでもいいという自由はない。どうせ帰るのだから少し足を伸ばして沼津港まで行って地ビールでも飲んで帰ろうかと思ったが、それだとこの旅程に目的が出来てしまうのがなんだかイヤなので止めた。百閒先生一行はこの後沼津に泊るというか沼津には泊まらないで興津に泊って翌日静岡から一等車で帰るのだが、一等車には荷物を置いただけであとは食堂車でお酒を飲んでいたら丹那トンネルもいつの間にか過ぎてしまっていて気がついたら横浜まで来ていたという阿房列車であったが、こちらは泊まりもせず呑みもせず、沼津まで行ってただ戻ってみたい。であれば先ほどの御殿場線でとんぼ返りをするのが一番だったのではないか、沼津の地を踏まずに戻るのが最善手だったのではないかと思う。でももうそれはできないし、帰りは用事もなく早く帰りたいからやっぱりこれでいい。
 そこら辺をぐるっとしてすぐにホームに戻って十分もしないうちに東海道線が来たので乗り込んだ。沼津から三島、三島から熱海と乗り換える。東海道線から富士山を見やると、思っていた通り雲に覆われ手品のように姿が見えなくなっていた。あのまま御殿場線に乗っていても富士山は拝めない帰路になっていたので乗らなくて良かったとも思うが、雲で隠れたその奥の姿を想像の目で眺めてみても良かっただろうなどというひねくれた思いもまだよぎる。

 熱海で乗り換えた東海道線は相模湾を見下ろす景色が素敵で、陽光に海や波がキラキラ反射して輝きまことに綺麗である。
 根府川駅にするりと入線し、ここから先は高台から海を見下ろす絶景が続く。沖に白い船が一筋の波を立てている。きらめく海も碧く、水平線の上の空も青く、車内の電車のシートも蒼く、たまたま目の前に座っている熟年夫婦の着ている服も青いので、視界のすべてが様々な青で彩られた景色でなんだか出来過ぎている。現代美術館の展示のようでもある。矢張り東海道線にして良かった。山も海も眺められてとても気分がいい。ところが早川を過ぎると海は急速に遠ざかり、家並みばかりで面白くもなくなる。子どもの頃に住んでいた辻堂や、記憶にある藤沢や大船を通り過ぎればその後はあっという間に上野に着いた。
 時計を見ると沼津まで行って戻ってきてもまだ夕方の四時前である。
 これから家に帰って、今日は旅気分で明るいうちから飲み始めようと思う。

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