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弱さと強さ『ぼくと満月』1万回再生に感謝を込めて(6)

2018年4月、僕はレコーディングに向けて動き出しました。

その前年の2017年11月10日「light bulb」のリリース後にはすぐ次回作のことを考えていて、12月にはもうすでに大まかなテーマや構想もあったのですが、その時点ではまだテーマに合うような楽曲がほとんどできてなくて、少しずつ新曲を書き溜めていき、収録したいと思う曲が並んできたのがだいたいこの4月頃だったというわけです。
レコーディングはもちろん、バンドやエンジニアとの打ち合わせをしたりという事前準備などのことを考えると収録楽曲は6月の中旬までに最終決定したいと考え、そこまでの約2ヶ月間、僕は集中的な制作期間に入りました。


ちなみにその時点では「案山子」「口下手な君へ」「excuse」というのちにアルバムに採用した3曲に加え「シリウスの少年」「王様はしらない」の2曲。
そして後にシングルカットした「カメレオン」「帰り道」「ただいま」の3曲も候補に入っていました。
曲数的にもクオリティ的にもこの中からでよかったのですが、僕は残りの時間でもう一つミニアルバムの代表となるような曲ができないかと模索していました。

当時どんなに早くても1曲作るのに5日はかかってしまっていて、集中して取り掛かったとしても1ヶ月5曲、2ヶ月なら10曲というのが一つの目安。
もちろんこの期間もライブや打ち合わせ、他の制作があったのでいつものペースなら2ヶ月でも5、6曲が関の山でしたが、何よりも楽曲制作を優先にしていたおかげで10曲ほどかなりのハイペースで書くことができました。
スケジュール帳を見ると毎日どこかの時間に楽曲制作の文字があって、移動時間があればそこにも小さく「楽曲制作」と書き込まれていたり、夜の就寝時間の2時間後に起きて楽曲制作を続けるという文字が締め切りの迫る5月中盤に書いてあるのは流石にやりすぎだろと驚きました。
そりゃそんな無理な制作をしたらボツのオンパレードになるわけで、そんな中よく「ぼくと満月」のようなオーガニックに優しい楽曲ができたなと思います。

あれはやっぱり奇跡だったのかもしれません。

でも奇跡だったと思うと同時に必然だったのかもしれないとも思うんです。


僕の大好きなアニメーション作品「時をかける少女」にとある絵が登場します。
その絵は「白梅二椿菊図」
温かみのある優しい絵。
でもその絵が生まれたのは”何百年も前の歴史的な大戦争と飢饉の時代”
なぜそんな時代にこんな優しい絵が生まれたのか不思議だと登場人物は語りますが、僕は少しだけわかる気がします。

あの絵はその時代だから生まれたんだと思います。

アルバムの代表となる作品というところを狙っていけばいくほどに楽曲の内容はあざとくなっていきました。
クオリティ的にはいいものがあってもどうしても心から納得できず、後に歌おうという気にもなれず、先に言ったように僕はすべて片っ端からボツにしていきました。
アルバム候補からという意味ではなく、その曲たちは次々とゴミ箱の中の丸まった紙たちの仲間になっていったのです。
実際その期間に書いた曲は「ぼくと満月」を除けば「ただいま」という曲以外音源でも客演でも人の前に出すこともなかったはずです。
いい曲とかかっこいい曲とかではなくて、とにかくもう一つ、アルバムの代表となるような、でもナチュラルなメンタリティや内容を持った曲が欲しかったんです。


そんな中締め切りのギリギリにでき上がったのが「ぼくと満月」でした。

と言っても曲の完成が5月31日、締め切りにはまだ2週間ほどあったので作ろうと思えばもう2、3曲はできたと思います。
でも既出のシングルから「帰り道」の収録採用と、それまでのエンジニアとの話し合いで、長く歌って来ていた「スノーマン」を”過去と現在を繋ぐ”という意味合いで再収録することを決めたことで、入れられる曲は残り1つだけとなったところでした。

そこで僕は最後の一曲として「ぼくと満月」をどうしても入れたいと思った。
この曲以外に考えられないと思った。
仮にもっとクオリティの高い楽曲ができたとしても、僕は「ぼくと満月」をアルバムに収録したかった。
なので僕は残りの時間を曲の練習と歌詞の加筆などに割くことにして、楽曲制作をそこで完全にストップさせることにしました。


ここがミニアルバム『君と僕のお話』の構想完成(アルバムタイトルについてはこの時点ではまだ白紙だったと思います)で、「ぼくと満月」の音源化決定でもありました。
2018年6月上旬、正式には6月15日のことです。


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