さまざまな生き方とすれ違う。誰でもない自分とは。
はっきりと言えるのは、どのようなことがあれ、
誰も誰かに危害を加える権利はないことです。
どんな生き方を取ろうと、誰もが自分です。
好き、嫌い、対極的なものに関わらず、
どちらの立場を取らずにその時の判断で行動することも
危害の理由にはなり得ない。
身体、心、宗教、色、考えなど色々抱えていると、
人ひとりだけでも、かなりの情報量がありますよね。
ひとりをまるっと捉えるにしても、
認識のズレや時間がかかるもの。
ひとまず交流するために自己紹介という
手段で情報共有をしてきたと思います。
かなりある情報から抜き出して、自分を紹介する。
学校とかの集団経験があれば
・名前
・得意なこと
・好きな食べ物や抱負(自由)
などを指定されたこともあるかもしれません。
そういったお決まりのものは置いて、
自分の抱える思い、したい行動から
自分を形成していく。
人は誰彼問わず、身体と精神の提示以外にも、
ごく簡単に誰かを気味悪いものとして定めて傷つける。
ちなみに、認識のズレではなく、一致した場合も起きるため
一致したからといって傷つけられない保障はないです。
結局、どのような立場でも傷つけられる可能性はある。
サイコロを際限なく振って1が一度も出ない
とは言えないのと同じくらいには確率はあります。
でも、そんな確率だけで自分の一部を外す必要はない。
ズレ、一致、公表するしないに関わらず、
抱えている思いやしたいことをただ捉えることが
誰でもない自分を捉えることだと思うんです。
ぼや~…としているものも、明確なものも人それぞれ。
色々なとこにグラデーションがあって、多面体。
誰かの指摘はあくまでシール、
シールよりもパズルとして考えてみませんか。
裏表のあるピースひとつひとつ。
はめたい部分をつなげていったら自分は出てくる。
もちろん、複数プレイもありでw
自分は一人でも、源やヒントはたくさんの人からもらっていますから。
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