妻を愛せない [1]〜「愛する」ってなんだろう〜|マインドフルネス

妻と付き合ってから十何年、二人で人生の辛酸を舐めて来ましたが、ある日離婚となりました。円満離婚です。

本当に妻には感謝しかありません。なんとかそれに応えようと今まで頑張ってきました。ですが一方で私は妻をどこか愛することができませんでした。
時代の閉塞感からか、もぅ出会った頃のように、女性として見ることが出来ず、興味がなくなり、他の女性が可愛くすごく興味を持つようになってしまい、
それどころか一緒にいることが苦しくなってきました。

さらにそんな気持ちになってはいけないと気持ちを何とか押さえ込み続けましたが、どこかその気持ちを解消する事ができませんでした。


現実、離婚については全て私(夫)が原因です。罪を償うべきは私だと了解しておりますが、
ここでは記事の性質上、客観的視点も挟みながら、綴っていきます。
私の人間の成長として、自身の過去を振り返りながら、「愛する」とはなんだろうということまでの気づきを勝手な解釈で3部構成で綴っていきます。

あらすじ

離婚に至る6ヶ月前。妻の意向で心機一転のため引越しをしました。
私は会社を辞め、自分のやりたかった事業を、子供の面倒を見ながら、初めることに決めました。


妻には、経済面全てを背負わせるような形になってしまいましたが、
「大丈夫よ。なんとかなるわ。」と凹んだ様子も見せない彼女に、私は安心し切っていました。

その反面、本当にいろんなトラブルが発生しました。
取引先からの突然のキャンセル、公的書類の申請不備、義母の思いつきに振り回される、親戚からの過干渉、知り合いとの仲違い、引越し先が問題物件だった事、子供がソファーから落ちて頭をぶつける、私の不倫現場の目撃情報(!?)(※もちろんデマ情報です。)などなど。

ですが、その時彼女は勇敢にこなしてくれました。一方で、今思えば、これは神様からの「時期が早すぎるんじゃないか」というサインだったのではないかと思っています。


そこから、妻は家事を除き、何もかもこなすようになって来ました。

安心したのもつかの間、妻は仕事や物事が上手く進まないことに不満を吐き、疲れが過度に現れるようになり、最終的に私に当たるようにな理ました。

また、大学時代の後輩の女性と偶然出会うことがあり、実際会って相談に乗ってあげたことで、妻との関係はさらに悪い状況へと進んでいきました。

案の定、安心できない(存在価値がないと感じる)状況が生まれ、心の中では「なんとかしなくては???」ともがいていました。

その頃、彼女に対しての気持ちは、「トラブルを持ち込まないでくれ。俺には構うな。厄介な存在。素直に心を開けない。可愛らしさがない。そして、キスさえも拒むような状態でした。」


その時、私の取った行動とは!?

こんな事件が立て続けに起こり、面倒になった私は以下のような対策を立てることにしました。
・これ以上誰とも会いたくない
・息抜きする機会も設けることをしない(お金がないのでできない)
・少しでも楽になってもらうように妻のサポート(心の支え)に一応専念した
・親戚からの評価が耳に入ってきたので、彼らと距離を取るようになった
・現状から逃げるために育児と自分の事業に集中した

結果的に、
相談できるともだちがいなくなった
自分に楽しいことがなくなった(生きてても面白くない)
孤独を感じるようになった。。。



『幸せな家庭』という独房で独り篭る日々でした。




妻を一応応援しているけど、妻からは責められる。誤解で喧嘩が頻発する、何をやっても楽しくない、誰も心配してくれない、妻の親戚とギクシャクする、子供から目が離せない、私は抜け出せない、「愛を出せない」、、




もう、疲れた。。




私はストレスが一気に湧き上がり、行き詰まりと無感情を感じてきました。

そして、様々な事件が起こり、自分はフワフワしたまま、
あっという間に「離婚」へと滑り落ちていきました。


離婚手続きを終えた後、しばらく無気力でした。ですが、ふと
「どうしていきなりこんなことになったのだろうか」
「自分は結婚に向いていないのだろうか」
「愛ってなんなんだろうか」
自分なりに落ち着いて考えてみようと思い始めました。


そして、掘り下げれば掘り下げるほどいろんなことに気がつき、気になってきました。


原因1|因縁 -いんねん


仏教の世界では、現世に起こった悪いことは「因縁 -いんねん」とよく関連させることがあります。
今回も絶対そうだ!と思いましたが、
それだけでは全く責任転嫁しているだけなのでは?

探求して行くと、「因縁」には2つの要素があると感じました。

①先祖代々からの霊的な側面
②自分の過去の出来事と和解ができないことから起因する側面

①は専門でないので断言できませんが、お墓参りやお仏壇を拝むだとか、ご先祖さまと会話することなのかな?と思います。




問題は、②。

私がしたのは、「自分の過去へさかのぼって尋ねてみよう」ということでした。(次回|<妻を愛せない [2]〜「愛する」ってなんだろう〜|自分の過去をトラベル> の続編で紹介します。)



原因2|マインドフルネス

また今回の発生した事に対して、私は常にネガティブ(否定的)でした。
お金がない、助けがない、成功しない、妻が怖い・・・・・・・

そんな時、考え方をポジティブに持って行くしかありませんが、
そんなの無理です!!!


その時は、自分に


「今までなんとかやってきたね。辛かったね。その辛さ自分だけわかってるよ。」と自画自賛してやるべきでした。
→既に弱っていた自己肯定感に応急処置を施すことで、モチベが上がる、ということだそうです。



そして「今の感情は思考の結果」だと言い聞かせる。
→   ②憂鬱な感情 ⇦①ネガティブな思考 といった順序です。
無自覚(ボーッとする)だと、心がネガティブなことに陥りがちになり、
意識を現実に呼び覚ます必要があるそうです。「我に返る」ということですね。




「自分は本当は周りから愛されているのだ」
→そう言い聞かせると、自分を許せて、安心感が湧き上がってくるそうです。



自分の存在価値を支えるために、自分の支えとなるものを確立する。
→私の場合だと、定職(経済的不安の解消)に就くことかな?




これらは、自己否定した自分を救う一つの手立てで
「自分を愛することができれば、人を愛することができる」のだそうです。

「困った人がいたら、助けてあげるんだよ。」

この件が起こるまで、どこかでは「普通は辛いと思ったとき、周りが気づいて助けてくれる」と言う感覚がありました。そういえば、小中学生の時「困った人がいたら、助けてあげるんだよ」といった「当たり前」のことは、立場が逆になったら「当たり前ではないんだな」と気付きました。
自分に降りかかる困難は全て自分から出たもの。
そうであるなら、まずは自分自身満たされた状態にするのが先決だということです。

次回、妻を愛せない [2]〜「愛する」ってなんだろう〜|自分の過去をトラベル に続く。

<是非読んでいただきたい、今回の参考書籍>
マインドフルネスと7つの言葉だけで自己肯定感が高い人になる本(藤井英雄 著)

応援ありがとうございます。勇気を出して自分の辛い経験を打ち明けることで、これ以上傷つく人を増やしたくない、苦しんでいる人を解放してあげたい。そんな気持ちでこの記事を書いてます。これからもどうぞよろしくお願いします。