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「見る人を幸せにする絵を描きなさい」から見る人を意識するようになった

こんにちは、散歩する絵描きの一瀬大智です。


絵を描く、音楽を作る、表現をするとき
誰かを意識してつくっていますか

僕は大学時代にかけられた言葉から
作品を作る意識が変わりました。

意識するようになってから
絵は自分のモヤモヤの吐露で、「どう思われようといい」から
他人が見てどう思うかのを考えるようになりました。



見る人を意識するようになったきっかけ



大学在学中にかけられた「見る人を幸せにする絵を描きなさい」この言葉を意識するようになってから絵が変わりました。

意識していなかった頃は暗く重く、心情を吐き出すために絵を描いていた部分がおおきかった。

夜に浮かぶ電灯や、うつむきに歩いた時に見える、割れたコンクリート。

そこから、見る人が見やすいものと、自分が入れたいものの合間を探るように。


絵に触れる最初



絵を描きはじめたのは高校からでした。


中学で不登校を経験し、高校にあがる時点で内申が足りず、

担任教師から「内申が足りなくてもパソコンか絵ならいける」と薦められた2校から、絵のコースがある高校に通いました。

幼少期には絵を描いていた記憶もあり、絵ならやってみようと思えたのでした。

吐き出し口として絵がはじまった

不登校から急に集団生活に戻ったので、正直うまく適応できていませんでした。

部活にはいったり、生徒会に入ってみるなど、縁もあり活動的でした。

活動とは裏腹にうまくなじめず、最終学年では美術室によくこもっていました。

自分のなかの「理想の動き」と「現実のギャップ」に絶望感を感じていたなかで

その気持ちをぶつけるように絵を描いていました。
描いていたというよりは絵の具を投げつけていました。


身近な事象をえらんでいた

油作品


大学にあがっても絵を続けた僕は、高校では絵の具を投げつけるような中小から、現実のものを描くようになっていきました。

生活に近いモチーフを選び、帰り道に見える夜の電灯、うつむき歩く割れたコンクリート、路上に転がっている虫。

根暗な心情をうつしてじっとりした絵になりました。

周囲からは「暗い」とよく言われていました。

在学時の言葉

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在学3年ごろ課題で「誰かを想って描く」がテーマで絵を描くことになりました。


高校から大学まで自分の心情が主題で描いていたので、誰かを想って描くなんてしたことがないし、

この時は描いた絵を誰かにあげるなんて、売るなんてことも頭にありません。


学内展や外部での展示などから少しずつ、「見る人がいて作る人がいる」当たり前のことを知るも、

知ったけれどもすぐに作品を変えれるわけではなく、

ある時、担当の教員から「見た人を幸せにする絵を描け」
との言葉をかけられました。

言葉をかけられた直後は、ぜんぜん言葉が入ってきません。

「幸せにと言われても…」

何を言われたのか、言葉の意味はわかってもどうすればいいのかまったく見当がつかず。


悶々と絵を描いていました。

大学を卒業して

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大学を卒業してから、改めてかけられた言葉を考えるようになりました。

発表したり絵を見てもらうなかで、


どうも、

あまりみられていない。
共感されない。

僕が思ういいものと、他人からみたいいものは全然違うようだ。


いま描いているものは独りよがりに近いものなんじゃないのか?


他人の目を気にしすぎるのはイヤですが


独りよがりになるのであれば、わざわざ発表せずともいいな。


見せるのであれば、他人が見ることを意識しようと。


ずっと悶々としながらも、抜けられずにいた作風、どうしていいのかと筆が止まりました。


自分と誰かの心地よさのまあい

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僕と他人がみたいものってなんだろう?
そう考えるようになってから、少しずつ作風が変わりました。


暗く、にぶい色味から、明るく彩度をあげるように。


それまでは、手がとどく範囲の近場のものを
風景としてとらえていたのが、もっと広い景色に。



他人を意識することで相手の見やすいものを引き合いにだしながら、自分のしたいところにもっていく。


僕がみたい景色と他人が親しみやすい心地いい「まあい」をとれるんじゃないかと。


見せる時でも意識は変わらない

他人の意識を考えるようになってから展示でも、


ホワイトキューブではなく、場所の個性がある、カフェやライブハウスを使用させてもらえるときは


もともとの場所の良さを生かしつつ作品を収められないかな?
という視点をもてるようになりました。



学生時であれば自分の作品さえよければそれでいい。


という感覚がつよかったですが、空間や場所との共生を思うようになれたのは意識の変化としてとても大きいですね。

独りよがりからの脱出、まだみえない「見る人の幸せ」。


個人的な情感を描いていた、始めた頃から大学を経て

「見る人が幸せになる絵」を意識するようになって

独りよがりになりがちだった絵から
少しずつ変えてきました。


変えたことによって反応も変わり、活動も増えてきました。
独りよがりからは抜けて、見るものにはなってきたなと。



しかしまだ、「見る人の幸せ」には、もう少しかかりそうです。
絵を描きはじめたころは、「自分の絵で世界が変わる」と大層なことを思っていました。


いまは「見る人の幸せにする絵」はある意味、誰かの人生を変えた絵なんじゃないか、

それは「少しでも世界が変わった」と言えるんじゃないでしょうか。

世界が少しでも変わるよう、引き続き描いていきます。

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