[インタビュー]王寺賢太|私たちはいつでも逸脱できる――フーコー『カントの人間学』の射程


哲学者のミシェル・フーコーは、その主著の一つ『言葉と物』で、ルネサンスから近代に至る各時代が持っていた認識の秩序を明らかにし、そのことによって逆に、その秩序を飛び出すことができる人間の可塑性を思考した。経済成長の限界に直面し、つつましく「分をわきまえる」ことが美とされる現代社会の中で、人間の「逸脱」や自由の可能性はどのように思考できるのか。フーコーのカント論をきっかけにして、思想史家の王寺賢太さんにうかがった。


『カントの人間学』の意義


――2010年に新潮社から、ミシェル・フーコーの『カントの人間学』(王寺賢太訳)という論文が刊行されました。カントといえば、フーコーが言う「近代」の出発点において、巨大な批判哲学を打ち立て、人間理性の可能性と不可能性を峻別した哲学者だと思います。そのカントが晩年になってから著した『実用的見地における人間学』に特に着目する視点が、フーコーの仕事の最初にあるのが面白いと思いました。まずこの論文の意義、カントの『人間学』に着目する意義をお話しいただけますか。


最初に断っておくと、僕はそもそもフーコーの専門家ではなく、18世紀フランスの思想史をずっとやってきた人間なので、この『カントの人間学』の翻訳はなかなかしんどい仕事だったんです。というのもこの論文は、カントの『実用的見地における人間学』を、前批判期、批判期、そして批判期後(「諸学部の争い」、『オプス・ポストゥムム』)に至るカントの哲学的行程の中に位置づけ、カント哲学の総体を論じるという話になっている。さらに、フーコーのカントに対する問いかけの背景では、ハイデガーとの関係が隠れた主題になっていることがわかります。カント、ハイデガー、フーコーと超大物達が招集されている小さな論文で、決して論文としてわかりやすいものでもない。フーコーの『カントの人間学』についてはまた機会があればきちんと書きたいと思っていたので、今日はこういう機会を与えていただいて感謝しています。

この論文の意義として第一に言っておかなければならないのは、この論文が、1961年に『狂気の歴史』とともに提出されたフーコーの博士論文の一部であることです。序文と翻訳、および若干の註解がついたカントの『人間学』のフランス語版、これが副論文になるわけですね。カントが二、三十年間にわたって続けた人間学講義、そしてようやく晩年になって出版されたこの『人間学』という書物を、カントの哲学的行程の全体の中に位置づけてみせるという意味では、すごい力業だと思います。

フーコーについては、20世紀の偉大な哲学者の一人として今やみんなが名前を知っているわけだけど、そもそも、彼がいわゆる哲学史の仕事をしたことはほとんどないんですね。哲学者についてのモノグラフィなんてないでしょう。そのフーコーがほとんど唯一立ち止まった哲学者として、カントがいる。そのカントにフーコーはいったい何を読み込んでいたのかが、一つ面白いところになると思います。実際この小さな論文は、ある意味でフーコーの方法序説、または方法序説の序説、あるいは昇った後に打ち捨てられる梯子のような、形而上学とでも言える性格を秘めている。あるいは、そうしたものとして読みたいというのが僕の立場です。相手はデカルトと並んで近代哲学の創始者と言ってもよいカントなので、言ってみれば、フーコー自身の仕事を哲学史的なパースペクティヴの中で理解するためにも鍵になる書物だと思います。


――フーコー自身の仕事の哲学性を考察するきっかけになるわけですね。


さらに言うと、第二に、この論文はフーコーの「人間主義」批判、「人間学的思考」批判の意味を理解するために重要な論文です。フーコーは1966年の『言葉と物』で「人間の終焉」を宣告し、「経験的=超越論的二重体」としての「人間」概念を批判するわけでが、それにつながっていく重要な転機を画すものとしてこの論文を考えることもできます。

今フーコーの「人間主義」批判と言いましたが、人間主義の批判自体は、20世紀後半のフランスに大きな潮流としてありました。たとえばその一つが、アルチュセールの「疎外論批判」、「哲学的人間主義批判」です。この「疎外論」「哲学的人間主義」というのは、個々の人間個体がそれぞれ類的な本質を分け持っており、その本質の「表出」「表現」として、政治にせよ、経済にせよ、社会現象にせよ、文化現象にせよ、人間的現象の一切が理解できるとする立場です。アルチュセールは、その立場を、第二次大戦後のサルトルらの実存主義や、ルカーチ的なマルクス主義、あるいはフランス共産党の主流派まで含めたいわゆる「ヒューマニズム」的な立場と重ね合わせている。「初期マルクス」の疎外論を一つの典拠にしながら展開された、そんな立場が批判されたわけです。

そもそも20世紀哲学における「人間学」への注目ということでつけ加えておけば、カント哲学のア・プリオリズムの抽象性・形式性の批判から出発したフッサール現象学、さらにそのフッサールを継承するシェーラーの「哲学的人間学」がありました。フーコーには、たとえば、現象学的な立場から行動学なんかをとりこんでいったメルロ=ポンティに対する批判もあったでしょう。

ただし、フーコーの人間学批判がアルチュセールと違っているところは、まさにカントに立ち返って、このカントの認識批判の一つの帰結として、近代の人間学的思考を位置づけていくところだと思います。その際、カント理解としては、フーコーはニーチェ=ハイデガー的な問題設定を受け継いで、カントの批判哲学なり、カント哲学の総体を「有限性」についての思考として見るという立場を強く押し出します。この観点からすると、カント的な批判の革新性は、神のような超越性・無限を参照することなく、つまり無限の否定としてではなく、理性の有限性の自己吟味といった形で、自己言及的に有限性を思考した点に見出されることになります。



フーコーにとってのカント


――少し詳しくお訊きしたいのですが、カントの批判哲学についてフーコーはどのように考えていたのでしょうか。


フーコー『言葉と物』の第二部の最初に、批判哲学についての小さな章があります。『言葉と物』では、17-18世紀の古典主義時代を一括して、言葉と物が表象(観念)の媒介を介して非常にぴったりと透明に重なりあう時代とするわけですね。俗流のイメージで言うと、『百科全書』のように、言葉と物が観念を介して過不足なく重なりあう時代として描き出していた。デカルト以来の古典主義時代の哲学・合理主義哲学は、こうした複数の秩序のあいだの照応を、超越的な神の配慮にゆだねてきたと考えられています。この古典主義時代の哲学が、世界をくまなく表象し、分析し、秩序化した果てに、まさにその表象・分析・秩序化の作用自体を視野に入れてしまった。表象装置の機能自体が表象の視界に入った。それがフーコーにとってのカントです。つまり、カントの批判、理性の能力の限界画定の試みにおいては、主体は最初から二重なわけです。主体が能動的でもあると同時に、受動的かつ客体でもあるというこの事態をどういうふうに考えるのかが、フーコーにとってのカント問題になる。あるいは、フーコーが晩年までずっとこだわり続ける主体の二重性という問題はここから来る。カント以降、近代の大問題がここにあるという理解をフーコーはしていると思います。

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