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6arts|真珠 ― 海からの贈りもの(渋谷区立松濤美術館)

緊急事態宣言が解除され、ステップ2に移行したことで少しずつ美術館も開館してきました。今回はその取り組みも含めて、展覧会リポートしたいと思います。

渋谷区立松濤美術館では会期を変更し、2020年9月22日まで「真珠」展を開催中です。

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建物に入る前、入口脇には利用に関しての注意書きと消毒液、連絡先を記入する紙が用意してありました。鉛筆は使用前後で置き場所を変える、浴場の備品方式です。1回使用するたびに消毒しているのでしょう。
用紙を記入したら館内に入り、受付脇のBOXに投函。チケットを購入します。
本展では真珠割引を実施中! 私もコットンパールのネックレスで割引していただきました。

感染症予防対策で館内人数を最大 50 人に制限しているため、チケット受け取り時に整理札も一緒に渡されました。この整理券は美術館出口で返却します。
展示室入口には消毒液が用意され、2階展示室のソファセットは使用禁止、監視員さんはマスク姿です。平日だったこともあり、館内は3~4人と少ない人数でしたが、順路にこだわらず他の鑑賞者のいないエリアから鑑賞するように心掛けながら鑑賞します。

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地下の第1会場のテーマは、世界の真珠。
1~3世紀の中東エリアで装身具が発見されるほど、古代より人々を魅了してきた真珠。15~17世紀の大航海時代でヨーロッパにもたらされると、王侯貴族が富と権力の象徴として愛好されました。ジュエリーに使用されるのは球体のものだけでなく、不定形のバロック真珠は人物や動物に見立てて宝石や七宝で飾られました。19世紀に入るとパリュールと呼ばれるセット物のジュエリーやカメオを囲むために、大量に使用されるようになります。
この会場で注目したいのが、センチメンタリズムのジュエリーです。これは大切な人への愛を示す目的でつくられたものを言い、特に故人を偲ぶ目的のものはモーニング・ジュエリーと呼ばれます。
鮮やかな色やカッティングで豪華さを演出する宝石に比べ、柔らかい光沢のある輝きと丸い形が特徴の真珠は、こうした表現には最適でした。会場にも、ケシ粒大の真珠で風景を表した作品や遺髪と組み合わされた作品が展示され、その繊細な美しさと込められた想いが伝わってきます。

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2階の第2会場のテーマは、日本の真珠。
日本での真珠の出会いは古く、本展には福井県の縄文時代の地層から日本最古の真珠遺物 「縄文真珠(トリハマ・パール)」 が出品されています。2~3cm程の大きいものでしたが、地中にあったためか艶はほとんど失われていました。そのすぐ近くに展示されていたのは、江戸時代の長崎の大村藩で採取された大粒真珠「夜光の名珠」です。碁石のような大きさと形で緑とピンクの入った色味、怪しい輝きに魅入られてしまいます……。真珠の魔力に人々が狂わされる歴史ファンタジー小説が書けそうです。
今では真珠のアクセサリーは冠婚葬祭の定番ですが、明治時代以前に真珠を装身具として使用することはほとんどありませんでした。それまでは貝の身を食べる際に偶然出てくる綺麗な石として、仏教の七宝の一つとして、宝物のように扱われていました。単純に数がたくさんは採れなかったことが一番の要因と思われます。また、重ね着や染織による模様のついた着物で着飾り、装飾品としてはより可塑性のある蒔絵や鼈甲を使用していましたし、貴金属で装飾するベクトルが仏教伝来以降、神社仏閣を荘厳する方向に向いていたというのもあるかもしれません。
1905(明治38)年に御木本幸吉が真円真珠の養殖に成功して大量に生産できるようになってから、日本で真珠の装身具がつくられるようになります。展示の最後には、真珠の養殖法が使用する道具とともに紹介されています。

海で生物の体内から産出される有機物でもある真珠は、その生成の過程から加工、ジュエリーとして人の手に渡ってからも、洋の東西を問わず生命の物語を紡いできました。
その物語を美術、歴史、産業といった切り口で多面的に味わえる展示です。

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