【父方ルーツ #11】 一揆じゃ!一揆じゃ!
「地元の郷土史に詳しいKさんをご紹介しますね」
こうして、ご先祖さまが住んでいた地区の郷土史家の方を紹介していただくという夢のようなご縁がつながりました。
Kさんも同じ集落に古くから住まわれている方で、この集落に限らず八峰町内の郷土史に精通しているとのことでした。
Kさんに電話でお話を伺ったところ、後藤家に関わる郷土の興味深い伝承をお聞きすることができました。
引き続き聞き取った言葉をノートにメモしたキーワードを改めて調べていきます。「慶長10年」「本館百姓一揆」「すはら兵助」「武田重左衛門」…
ここまでくるとファミリーヒストリーの域を超えてきた感がありますが、調査の楽しさは倍増です。
一揆ですと!?
一揆というと、鎌やら鍬やらを振りかざして・・・というのは私の勝手なイメージ。
「慶長10年八森本館一揆という百姓一揆があってな、首謀者の一人として畑谷の後藤一族の頭である『須原兵助』が関わったんだよ。須原と名乗ったのは、後藤一族に害が及ばないためだな・・・その後、一族でかくまったけども、捕らえられ死刑になった。一族は別れを惜しんで鏡餅を食べた。今でも畑谷では縁起が悪いと丸い餅は食べないよ」
郷土史家のKさんが語ってくれたのは後藤家も関わる本館百姓一揆に関わるお話。
慶長10年って?いつ??
え?西暦1605年!
400年も前なの??!
これはとんでもないお話を聞いてしまいました!
一揆に関わっていたですって!?
そして首謀者!
この時すでに後藤一族は畑谷にいたことは確かのようです。
さらに調べてみると、こんな民話が残っているようでした。
まさか自分のルーツに関わる存在が一揆の首謀者とは!!晒首・・・
なかなか強烈なエピソード。
おりこうさんにして生きてきた(⁈)私ですが、密かにレジスタンス精神というものがありまして、この一揆の首謀者というワードに心躍るものがありました。
ご先祖さまにそんな熱い方がいたとは、驚きとともに尊敬の念も膨らみます。
領主側には領主側の、農民側には農民側のそれぞれの正義があります。
どちらも必死に生き、誠実に向き合った「正義」があったのだと思います。
八森本館城一揆についてもっと調べたい、そう思いました。
400年続くたいまつ祭り
一揆を起こした農民側こそ我がルーツ。
一方の領主側である本館城主武田重左衛門についても見ていきます。
いやいや、天目山の戦い、関ヶ原の戦いという歴史ワードまで出てくるとはこれまた驚きです。
八森本館城一揆については歴史的な記録が乏しく史実ではないではないとの見方もあるようですが、それは佐竹氏側から見た不都合な一幕だったゆえのことかもしれません。
武田重左衛門の墓跡や霊碑は今も残っており、確かに存在した人物です。さらには地域に残るいくつかの伝承からも、史実であると考える方が自然のようです。
何より400年経った今も旧暦8月には一揆の犠牲者を弔う「たいまつ祭り」が自治会の方の手によって続いているとのこと。
大きな歴史の中では埋もれてしまう百姓一揆の裏にある数々の小さな物語。けれども確かに歴史の表舞台からの影響を受けながら、人々がそこに生きていたということを痛感しました。
朝霧の斗星たち
この八森本館百姓一揆に、「もしかしたら・・・」というフィクションも加えられた、小説が存在することがわかりました。
これは読まねば!!
そう思い探してみるも、ネットを含めた古本屋にもなかなか見つからず。
秋田県の図書館にはある様子。
5年前の調査時には秋田へ行かねば読めないと思っていたので、数年間は手にすることができませんでした。
が!!!!
図書館というのはこんなにもありがたいサービスがあるのですね。「図書館相互貸借」他県からも読みたい本を借りられる。しかももちろん無料で!これは郷土史調査には強い味方です!!
そんなことも知らず5年…
実はようやく今年になってこの本を手に取ることができました。
主人公は武田重左衛門でしたので、重左衛門の目線でストーリーは紡がれています。
史実を元にしたフィクションではありますが、もちろん歴史的な背景や風景は大変よく調べられた上で書かれているため、400年前の村人の暮らしぶり、息づかいがよくわかる作品です。
そしてその一節に畑谷の兵助の名前もありました!!
後藤家の頭「兵助」やはり兵でした。
曽祖父の名前兵助の読み方を「へいすけ」なのか「ひょうすけ」なのかはわからないです、と郷土史家Kさんに話した時も即答で「それは絶対ひょうすけだ。昔からこのあたりの後藤はひょうと読むんだ。すはらひょうすけもひょう、だ。」
後藤家はきっと「兵」の名を特別大切にしてきたのでしょう。
もうすっかり兵助の身内気分です。
苦しむ村のみんなのために立ち上がったんだね!と、またまた勝手に英雄視してしまう。
いやいや、すでに述べたようにどちらにも正義があったはず。
そう思うとやはり悲しい歴史の一幕でもあります。
家族の歴史を遡った先にはこんな物語に行きつくとは想像もしませんでした。
まだまだ知りたいことは沢山ありますが、今日はこのへんで。
今日も読んでくださり、ありがとうございました。
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