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盲目の視野を…

見えない世界で
よく聞くことがある過去生。

聖書の世界では
当時の時代背景において
皮膚病の人や盲目の人などは、
その咎ゆえの〝現れ〟
のように思われていたようだ。

現代の世界でも
近代の最新医療において
難病で治療しえない人などは、
その咎ゆえの〝現れ〟
のように思うこともあるだろう。

しかし、
今、この肉体で生きていて
この肉体に咎が
具現化されているならば
果たして
それは自身や先祖の咎や、
過去生ゆえなのか…?

エレミヤ書18章
そうではなく、
本人次第ということを
主は述べておられる。

ヨハネ9章
イエスはお答えになった。
「本人が罪を犯したからでも、
両親が罪を犯したからでもない。
神の業がこの人に〝現れる〟
ためである…」

〝神の業が現れるため…〟

自分の本質に
〝気づく〟ためなのだ。

神は、
今の自分が
どう生きたいと思っているか、
願っているか
今の自分の気持ちを見ておられる。

そして
その自分の決断に、
神は心を動かしてくださる。

盲目の視野を開くのは、
自分自身の意識の矛先であり
自分の意図である。

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