21歳

 2009年冬、私は周りに流されて就職活動をしていた。本当は就職はしたくなかった。なぜかというと、成人するまでに散々我慢をさせられてきたのに組織に入り会社勤めをすることで更に我慢をさせられることには苦痛しか想像できなかったためである。サラリーマンになって、特にしたいこともなかった。しかし、本音を言うと弾圧された。そして「大学生ならば就職できて当然」という考えが私の周りにあり、やむを得ず取り組んだ。この国の社会では、大学に進学したら3年には卒業後の進路を決めるために就職活動を強要される。その際には皆、黒か紺のようなスーツを制服を着る。格好もそうだが、話し方や仕草も決まっていて、まるでロボットのような動きである。この国の社会側にいる人間は、社会に出る前の学生に対しては乱さず皆で同じような動きをするように求めているようである。男性は強さを、女性は美しさを求められるのかもしれない。それは社会が決めた髪の長さにも影響しているのかもしれない。尚、男子学生はきついネクタイを締めることや髪を短くすることを強要される。また、「誰かを支えたい」という気持ちを示すと弱々しいと捉えられる。幼い頃から私のようにおとなしくするように育てられた学生にとっては不利である。肉体的に弱い点や冴えない点ばかり注目された私は、面接で毎日落とされた。当時の経済状況も影響しているかもしれないが、実の母親には「他人は内定をバンバンもらっている」とまるでバブル世代のように私を追い込んだ。9月に、民主党政権に代わった時は、世の中の状況がよくなることを期待した。尚、3月には21歳になった。そのような中、9月には初めて海外に渡航した。周りの治安の安全の優先から結局シンガポールへ行った。多様な文化が共存する場所だった。鉄道で横断した。また、この頃はゼミに関しては砂糖の流通に関する研究を行った。

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