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花束みたいな恋より、すばらしき世界のが100倍ひびいた話

先月、立て続けにレディースデイを狙って「花束みたいな恋をした」と、「すばらしき世界」を観た。

「花束みたいな恋をした」は、キャスティングやテレビで流れてくる宣伝を観て、映画館に足を運ぶ必要はないと思っていた。
どうせ、薄っぺらくくだらない10代から20代のSNSに人生乗っ取られちゃってる系の若者たちに刺さるように作られた商業映画でしかないだろうと。
だけど、ちらちらと目に入ってくる評判の中に、CMで流れている宣伝は逆効果である、という文言を目にして、初めて興味が湧いた。
まぁ、レディースデイなら1200円だし、暇つぶしに観に行ってみるか、と。

感想を率直に述べると、「驚いた」の一言に尽きる。世間のカップルと呼ばれる人たちは、こんなにも薄っぺらい恋愛に一喜一憂しているのかということに、言葉を失った。
映画の中では終始、人間の「生活」が排除されて描かれる。人間は、体調が悪い日もあれば、気分が優れない日もある。女子に至っては生理で肌荒れしたり食欲が増したりそれでも太りたくないから食べるのを我慢して彼氏に八つ当たりしたり、そもそもセックスを含めた生活がマンネリ化したり(そこは万人受けするようにオブラートに包まれて表現されていた)、ゴミが溜まったりトイレが詰まったり排水溝から嫌なニオイがしたり酔っ払って玄関で吐いたりゲロまみれになったり便秘したりフローリングにどちらのものか判別がつかない陰毛が落ちていたりする。
そういう、人間と人間が共に生活する上で起きてしまう誰にも見られたくない現象が、いっさいがっさい排除されていた。
エンドロールが流れてくるころ、私は帰り支度をしながら失笑するしかなかった。
暗い映画館の中で、この映画がヒットしていることに、小さく絶望した。

ところかわって「すばらしき世界」は、最高だった。もともと西川美和監督の作品が好きだったから期待して観たけど、その期待を軽々と越えた。ティッシュを持参していた自分を称賛した。もし持参していなかったとしたら、私は映画館を出ることができないほど、ファンデーションがよれてマスカラが滲んで人様に見せられるような顔じゃなかったと思う。それくらい、涙が溢れた。

しかし、興行収入は遥かに「花束みたいな恋をした」の方が上である。

「話題性」の強さを改めて感じる。
それと同時に、他人の意見に惑わされることなく、自分自身の感性を大切にしていきたいと強く思えたから、結果、両方観ることができて本当に良かったと思う桜散る春の夜だ。

願わくば、花束みたいな恋よりも、永久に散らない恋がしたいものでありやんす。

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