見出し画像

ヨーガスートラ第1章(三昧)ノート その4

◇ブッディ・・・知性の働き
今回はココロの構成要素(マナス・ブッディ・アハンカーラ)。残りの2つを説明します。
まず”ブッティ”の働きから。

例えば木からりんごが落ちました。

「あっ。あれ食べたことあるぞ。甘かった。よし食べよう!」というのが”マナス”の働き方だとするならば、

「なんで地面に向かって落下するのだろう?」
という疑問から始まって、ついには「万有引力の発見」までに至れちゃうというココロの使い方も私たち人間は持っています。

照合と反応だけで終わらず”推論”し、そこからまったく新しい創造を生み出す”知性の働き”。

その機能のことをヨーガでは”ブッディ”と呼びます。

ブッダ(目覚めたもの)の語源とみれば覚えやすいですね。

人類が最初に火と出会ったとき、そこには”恐れ”という反応しかなかったと思います。

でも、もしも恐怖だけで火と関わっていたならば、僕たちは21世紀の現在でも洞窟暮らしのはず。

人間が独特の文明を発展させてくることが出来たのはこの”ブッティ”の働きによるところが大きいのです。

”ラージャ ヨーガ”では最終目的地(サマーディ)に至るまでの道のりを8段階の梯子(アシュタンガ)として説明しますが、最後の一歩手前までの”パートナー”として”ブッディ”を重要視しています。


◇アハンカーラ・・・自我意識 
この単語。もともとの意味は「私をつくるもの」という意味のものです。
一般的には「自我意識」と訳されています。

英語だと「EGO」になりますが”エゴイスト”に代表される”身勝手なやつ”とニュアンスは違います。

「私がいる」とか「俺は在る」という実感のことですね。

実はこの”アハンカーラ”こそが

”「リアルな現実世界」という個々の意識が実感している幻想を生み出すことに一役買っているんだよー。”

というややこしくも面白い”唯心論的”宇宙観について”ヨーガスートラ”やその前身である”サーンキャ哲学”が仏教の”唯識哲学”とゴンゴンやり合いながら説いていくのですが、そのあたりは本当にややこしいので(笑)また徐々に。。。

”ブッディ” ”アハンカーラ”は後のフレーズと絡めて解説する機会が沢山でてくるので、説明をささっと流してしまいましたが、ここでまずチッタ(ココロ)の構成は

マナス・・・心の反応
ブッディ・・・知性の働き
アハンカーラ・・・自我意識</b>

の3つがあると覚えておいてください。

そしてヨーガの目的とは何か?
<Ⅰ-2>のフレーズをもう一度確認してみると

<Ⅰ-2> 
ヨーガハ チッタヴリッティニローダハ
「ヨーガとは、心(チッタ)の作用を止滅させることである」

となっています。
今まであーだこーだ説明したココロの構成要素を全部エイヤっと「リセットしてしまう。」ことがヨーガだそうです。

そうすることによって次に来るフレーズ

<Ⅰ-3> 
タダー ドラシュトゥフ スワルーペー アヴァスターナム
「そのとき、見る者は、本来の状態(スワルーパ)にとどまることになる」 

と繋がっていきます。

”チッタ”が消えることで、いったいそこに何が起こり始めるのでしょうか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?