パズルの制作者と解答者との立場の差について

この記事はペンシルパズルI Advent Calendar 2021の12月23日の記事となります。


お断り


文章ばかりですが、図や絵を入れにくい内容なのでご勘弁ください。

文章が下手でも文句言わないでください。やっつけ数日で書いたことは反省しております。

予防線を張るだけ張って本題に入ります。


制作者と解答者との立場の差


いきなり本題ですが、多くの場合においてパズルの制作者と解答者とは対等でない立場にあります。その差の中でも大きいものが、制作者は解答盤面や理詰めの進行を知っているのに対し解答者はそれを知らない状態で解くという点です。

何を今更と思う方も多いでしょうが、ここの認識が甘いといわゆる難度詐称につながることがあるため、馬鹿にできない話です。制作者は手順を知っているので易しく感じる一方で解答者はそれを知らない状態で解くので難しく感じ、その齟齬ゆえに難度詐称感が出るわけですね。

この立場の差が存在すること、そのこと自体に異論を挟む人はおそらくないと思います。また、パズルの出題・解答のシステムが根本的に変わらない限りこの差がなくなることも無いでしょう。したがって、次に考えるべきはその差を理解し、うまく付き合っていく方法となります。

以降、いちいち制作者と解答者との立場の差というのは長いので、この差を「制作者優位」と呼ぶことにします。もっと良い呼び名がある気はします。


パズルの性質と制作者優位の大小


考える対象をはっきりさせたところで、まずはどのようなパズルで制作者優位が顕著に出るかを考えてみましょう。私は、以下のようなパズルにおいて特に制作者優位が大きくなると見ています。


・盤面が大きく、かつ道が細い


まず、盤面が大きくなるほど、制作者優位が大きくなる傾向があると考えられます。

例としてここにAB2つのパズルがあり、Aは標準サイズ、Bはその4倍のサイズを持った大型問であるとします。Bの左上部分はAが埋まっているような構造であるとし、そこから解き始めるのが初手であるとしましょう。

この場合、Bは初手を見つけるためにAより多くの箇所について検証を行う必要があるため、初手1ステップにかかる時間が長くなります。簡単のため、初手にかかる時間は盤面サイズに比例して単純に4倍とみましょう。こう仮定したとして、このとき全体の所要時間も約4倍かというと、そうでないのが怖いところです。盤面サイズが4倍ということはステップ数も約4倍になることが予想されます。解き進むほど残りの盤面が狭くなっていくので各ステップにかかる所要時間は減っていきますが、それを加味してもざっくり16倍の所要時間になります(参考:10+9+8+…+1=55に対し40+39+38+…+1=820で約15倍)。

実際にはパズルを解く際には1ステップ進むごとに全体を再度探索するわけではないので16倍というのは明らかに盛り過ぎなのですが、ともあれ解答者には「糸口を探すのが大変であるゆえの重量感」と「ステップ数が多いことによる重量感」が相乗的にかかる、くらいは言えるでしょう。

一方で制作者はこのうちの前者と無縁なので、ステップ数が4倍になったので重さも4倍、くらいの感覚に留まりがちと見えます。Aより広い分だけ比例的にチェックに時間がかかる、それ止まりなのです。

なお、この差は、道が広くどこからでも解き始められる問題であれば大きく緩和されると考えられます。先に挙げた2つの重量感のうち、制作者優位の原因となっていた前者の寄与が減少するためです。


・大域手筋を用いる問題

露骨にヒント数字が全体的に偏っている、見るからに特徴的な構造があるなどの事情が無い限り、大域手筋は局所手筋をある程度試した後で考えられるものでしょう。ここで、制作者は局所手筋をあれこれ試すステップをすっ飛ばせるので、大きな制作者優位が生まれます。

特に、全てのヒントを使うわけでなく部分的にヒントをピックアップして適用する大域手筋(ボンバーパズルの総数手筋やバトルシップの20マス手筋など)は、そのピックの仕方もまた解答者は知らないので、制作者が思っているよりかなり見つけづらいと言えます。場合によっては、一度その手筋に思い至るもピックを間違えて失敗し、その手筋を使うのではないと思い込んで迷宮入りという可能性もあります。

とりあえず大域手筋を使ったなら制作者優位が発生しているのは間違いないと考え、難度判定は自分が思っているより1つ上でよいと思います。

ただし、パズル種がもともと大域手筋を多く使う前提のものであり、それを解き手も知っているような場合であれば、これはある程度緩和されるとみてよいかと思います。


・リストを使う問題

大域手筋の話と似ていますが、リストの性質に依存した手筋はその難度を過小評価されがちです。例えばワードパズルで、特定の文字の登場回数が少ないことを利用した理詰め手順があったとしましょう。制作者はどの文字に着目すればよいかを知っているのでその手順は易しいように見えます。しかし解答者にとってその文字は他の文字と同等な、ただの文字です。この文字に着目すると進むよ、とはどこにも書かれていないのです。

この例に限らず、制作者は制作の過程でリストの持つ性質を熟知します。対して解答者はその性質を知らないだけでなく、どういう性質に着目すればよいかも知らない状態からのスタートです。これはまさに制作者優位と言えるでしょう。

また、リストを持つパズルはある箇所でリストの要素が消費されたことで地理的に離れた別の場所が進む可能性が常にあるので、解答者は次の一手の所在を逐一探さなければなりません。前項で「パズルを解く際には1ステップ進むごとに全体を再度探索するわけではない」と書きましたが、リストを持つパズルでは1ステップ進むごとにあちこちきょろきょろすることは十分あります。


とりあえず、リストを持ち、そのリストの性質を利用して解く問題を作ったなら、やはり難度は体感の1つ上をつけましょう。


・ひらめき系、インストラクションレス

いずれも、制作者はたくさんある規則やルールのどれかを選べばいいのに対し、解答者は制作者が選んだものをピンポイントで当てなければならないので、著しい制作者優位があります。

これらのジャンルだと、両者の差はもはや単なる優位というレベルではなく、立場が質的に異なるとすらいえるでしょう。たとえるならば、出題者は校庭に宝箱を埋める役で、解答者は宝箱を探す役です。このゲームは、ヒントとなる要素が十分になければただの理不尽です。何しろ探索範囲はこの世に存在するあらゆる規則なのですから、そこらの思考錯誤問なんて比較にならない探索範囲です。しかも、試行錯誤問のように、これだけの探索をミスなく終えれば解が見つかるという保証もありません。

したがってこれらのパズルを出題するならば、宝箱を埋めたところの土はちょっと凹んだままにしておくような工夫が必要となります。制作者には、解答を知っているゆえの先入観を排し、無限の選択肢から正解に至れるように導線を引くことが求められます。解答を知っている身からすれば過剰すぎるような導線でも、解答者にとっては薄い線です。その要素に注目するのが正着なのかも分からなければ、そこから思いつく案を信用していいのかも分からないのが解答者の立場なのです。

ここまでの説明で何となく察せるかと思いますが、パズルを通して解答者と知恵比べしたい人はこのようなジャンルに手を出してはいけません。校庭に埋めた宝を相手が見つけられなかったからと言って、一体何に勝っているのか。こんな不公平きわまるゲームでは知恵比べになる由はありません。知恵比べがしたいなら、普通にパズルを出題しましょう。


ここまでに4つ、制作者優位が大きくなる要因を挙げてきました。逆向きも考えてみましょう。制作者優位が小さくなる要素とはどのようなものでしょうか。基本的には上述の4つの逆、小型で、局所手筋で事が済み、リストの特殊性に依存した手を使わず、ルールが明確なパズルがそれにあたると言えます。しかし、ここにもう一つ、その差が小さくなる要素が存在します。


・試行錯誤問

解答者が大変な思いをするとき、制作者は1週間前に大変な思いをしています。何ならダブルチェックで2倍大変な思いをしています。

解きチェックの過程で制作者が行うことは、解答者が行う全探索とほぼ同じです。解答を知っていようがそれ以外のすべての枝を刈り切らねばならないのでショートカットはできません。ただし、それでもなお制作者は解答を知っているゆえに気楽という精神的な差はあります。

試行錯誤問については、解答者は勘で引くという手がある一方で制作者は唯一解であることを確認しなければならないのでむしろ制作者の方が大変という説もあります。


制作者優位が大きくなる/小さくなる要因は他にもありそうですが、主要なところはこんなものでしょう。


制作者優位との付き合い方


それでは続いて、制作者優位との付き合い方を考えていきましょう。

ここまで制作者優位を少々悪く言ってきた節がありますが、制作者優位が大きいことそれ自体はそのパズルを貶める要因にはなりません。大域手筋は見つけられれば感動できることも多いし、リストのあるパズルならリストの特殊性を追求してなんぼでしょう。ひらめき系、インストラクションレスは楽しい一ジャンルです。制作者優位自体は悪ではないが、その影響を作者がよく認識していないと、ときに不幸を呼ぶことがある、という話なのです。

制作者優位の存在は、個人がパズルを作りTwitterなどに放流して反応を楽しむ分にはさほど考えなくてもよいことです。難度1や2を付けた問題が他の人にとって激重でも、こいつの基準はおかしいからな、と言われるだけです。しかし、難度表記付きで雑誌・同人誌に載せる、あるいは公式色の濃い大会の問題とするならば、これはいくらか頓着せねばならないところとなります。出題されるパズルに通しの難度や配点をつけるとなれば、自作の問題と他者作の問題との難度比較を行うことは避けがたくなります。例えば「40点配点の問題を作ってくれ」と言われたとき、既に投稿されている他の問題に40点がついているものがあれば、その問題と大きな所要タイム差が出ないようにせねばならないでしょう。ここで難度比較ができなければ、平気で3倍時間がかかる問題を投稿してしまうということになりかねません。

このような場に問題を投稿するとなれば、自分の作った問題にどれだけ制作者優位が発生しているかは意識し、その分は自分の体感からずらして難度判定せねばならないでしょう。特に先の章で挙げたような要素に当てはまるパズルを投稿する場合には、一歩踏みとどまって再考を入れる価値があると思います。


結び


ここ数年、オンラインでの大会や行事が多く開かれるようになっており、この辺りのことをあらためて意識する良い機会が訪れていると思います。難度詐称の話題などにも触れることになるので避けられがちな話ではありますが、制作したパズルの評価にも関わるところですので、多くの人にとって考える意義があるところと思います。

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