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夜に見る、昼の映像が哀愁な話

こんにちは、高校生ライターのありすです。
最近、幼少期のほうが強かった感覚を辿っていくということをよくしています。私は、周囲に比べて幼少期の頃の記憶が強いのかもしれないと、よく同年代の友人と会話をしていて感じます。記憶というものは、曖昧なのでどこかで改竄されてるかもしれません。しかし、子どもの視野で見ていた景色とそれに対する感覚を、ふと今の自分に取り込み、今の私の視野で見ている景色に重ねる、というのはなんとも言えない感覚にさせてくれます。例えば、「蚊に刺された」というフレーズは、今と幼少期では抱く概念が少し変化していませんか。私はしています。幼少期の私の脳内では、「カニ ササレタ」でした。カニ🦀だとは思っていなかったけれど、とにかく、「カニ ササレタ」でした。しかし今は「蚊 に刺された(食われた)」という概念を抱きます。なんとなく、食われたの方がしっくりくるんです。こんな風に、言葉だけでなく景色や同じシチュエーションで、抱く感覚が変わっていることはよくあります。変わるというより薄れる、とか何も感じなくなるというものもあります。それに関しては少し恐怖がありますが。今日はそのうちの一つのお話です。


ドラマ前の5分程のドキュメンタリー

これで、半分くらいの人には伝わるのではないでしょうか。21時台から、テレビではドラマが放送されます。大体、00分頃はじまって、55分くらいに終わります。そして、次の番組までの間に流れる5分ほどの、人物であったり風景であったり、地名であったりの番組。あれです。あれに、小さい頃からなんとなく「哀愁」のようなものを抱いていました。自分がドラマを見ていたあとなんかは特にです。それは少し納得いく気がします。学園ドラマなんかを見て、感情移入して文化祭後のような感覚に満ちて、そこで流れる5分ドキュメンタリー。打ち上げ後のまたねっていう、あの感覚に似ています。どうせ明日会えるのに、今日という日が終わってほしくなくて、1人になりたくないあの感覚に似ています。でも、それはドラマを観た後だけじゃないんです。たまたまそのドキュメンタリーだけ見てしまった時にも、若干の哀愁を感じます。あー。今思いました。大人に近づいて、多くの言葉を知るのは便利だけど、このなんとも言えない感覚を、ノスタルジーだとかエモいだとか、それが例え哀愁なんていうかっこよそうな熟語だったとしても、簡単に表わせてしまうのはそれこそどこか哀愁を帯びています。切ない、悲しい、行かないでほしい。いっちゃった、って感じです。若干脱線しましたが、夜に見る昼の情景が、どこか切ない。そして儚い。観ていて少し辛くなるんです。それはもしかすると、あの美しいものと落ち着いたものを写している感じが「病院」に似ているからかましれません。花の景色だったり、綺麗なんだけどオシャレとかとは少し違くて、ローカルで、若さの対。なんだかこれが理由な気がしてきました。夜に見る、バラエティ番組の昼は大丈夫なのに、5分間ドキュメンタリーの昼が寂しくてちょっと怖い、みたくない引き込まれる、って気持ちになる理由。それはきっと、病院をすごく連想させるからです。幼少期の私にとって、病院は、少し身近なところに位置付けられていました。だからこそ、強く感情を抱いたのだと思います。そして今、薄れていっているのだと。

そうなってくると、幼少期の記憶が強いのも、幼少期の感覚がすごく敏感だったのも、衝撃的な出来事やあまりに印象に残ることがたくさんあったからなのかもしれません。人間数年目なのだから、当たり前と言えば当たり前ですが。なんとなく、しっくりくるものがあります。レア体験、かもしれないです。幼少期に、5分ドキュメンタリーに心をギュッて押しつぶされそうになった記憶とその感覚は、きっとなにかの役に立つはずなので、忘れないように心に留めて置こうと思います。

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