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〜「自分の物語」の時代、noteは「世界に素手で触れる」プラットフォームへ〜

あなたのノートをCCにしてみませんか?

やってみたい実験があります。

私のような無名の個人が書いたメッセージが、クリエイティブ・コモンズ(CC)のライセンスによって、世界に広まるのかどうか——そして、もしその答えが「イエス」なら、メッセージは国境を越えるのか?——さらに、SNSプラットフォーム間の垣根を越えるのか?

その答えをあなたは知りたくはないですか?

クリエイティブ・コモンズとは

「クリエイティブ・コモンズって何?」

という方はこちらの記事「クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの紹介」や、クリエイティブ・コモンズ・ジャパンのホームページをご覧ください。

CCの成功事例としては、TED、YouTube、初音ミクなどが有名です。

通常の著作権では、「公正な慣行に合致する」引用以外での文章の二次利用はできません。

note上のほとんどの記事は現在この状態ですね。

※CCではなく、note内の仕組みとしてですが、記事のヘッダー画像に関しては、他のクリエイターさんの作成したイラストや画像をクレジット付きで改変なく利用できる仕組みがありますね。

CCとは、原作者が著作権を完全に放棄するのではなく、「この範囲なら二次利用を行なってもOKですよ」という範囲をわかりやすく表示するものです。

誤解のないように言っておきますと、noteさんが、「投稿にCCを付与する機能」を実装してもしなくても、理論的には誰でも、自分がnoteに投稿する作品をCCに指定することができます。例えば文章の末尾などに、その旨を記載すればいいのです。

今でもこのような方法で記事の一部などをCCにしているnoteユーザーの方があります。

根津孝太さんは以下の記事で、子供用の素敵なフェイスシールドの型紙データをCCに指定しています。「『こども用フェイスシールド』クリアファイルで作ってみた☆

ですが、記事の文章自体をCCにしている方はあまり見たことがありません。

ただ、現状ではCCライセンスをわかりやすく表示するための「コモンズ証」というマークをnoteの記事に表示させたり、RDF構文に基づいたメタデータという、ライセンスの内容をコンピュータが読み取るための情報をnoteのページに付属させることはできません(このうちメタデータの方は、コードの埋め込みなどの機能を使用すればできるのかもしれませんが、少なくとも私には簡単ではありません)。

note × CC の実験に参加しよう!

この実験の一番の目的は、「CCライセンスによってどんなことが可能になるのかを試す」ことです。

もしCCに力があれば、例えば私が以前に書いてnoteに掲載しているこのテキスト「ロールプレイングゲームにたとえると誰でも理解できる引きこもりの仕組み」は、英語に翻訳されたり、動画にアレンジされたりすることでより多くの人に届くかもしれません。今のところこの文章は、天狼院ライティング・ゼミのメディアグランプリのこちらのページで39の「いいね」、note上で10の「スキ」を獲得しているだけでそれ以上の広がりを見せてはいません(実は公開していないだけで動画シナリオも作ってあるのですがね)。

ところで、私もnote上の自分の文章のすべてをCCにしたいと思っているわけではなく、今の所この一本だけです。

普通に考えたら、私が自分の書いた文章を宣伝したり、英語に翻訳したり、動画にしたりするのには、お金か時間を負担しなくてはならないでしょう。

それがCCの力で無料で、しかもお願いもしないのに勝手にできてしまうかもしれない、という話をしているのです。

「そんな都合のいい話があるか!」とあなたは思いますか?

実際にやってみなければわからないのではないでしょうか?

そこで、自分一人でできる方法でまずは実験をしてみようかとも思ったのですが、もしかしたら、noteユーザーの中には、私以外にも私と同じように「自分の作品を自分が指定した範囲で二次利用してほしい」と考える人がいるかもしれない、と私は思いました。

もし、簡単にnoteの投稿にCCライセンスをつけることができたら(例:記事を投稿する際に、ポチッと選択するだけでできる等)、CCライセンスの威力を試す実験を、より多くのケースで行うことができるでしょう。

個々人は、自分の作品の実験結果しか、わかりませんが、結果をnote上でレポートする人がいれば、他の人の結果もなんとなくはわかりますし、noteの中の人はもっと正確に実験結果を把握できるでしょう。

実験が成功することで期待できるメリットとデメリット

もしこの実験が実際に行われ、その結果CCライセンスの付与によって、より作品が広まる効果があると確認された場合、そのことによって様々なメリットがあるでしょう。

(CCライセンスには6種類あるので、どのケースでどのライセンスを選ぶかによっても個別のケースのメリットは異なってきます。)

noteユーザーにとってのメリット

① お金や手間をかけずに、自分の作品が他の言語に翻訳され、日本語文化圏の外でも読者を獲得する可能性が広がる。作品のメッセージがより多くの人に届く。

② 二次利用OKの作品を利用して創作した作品をnoteや他の場所で発表できる。

③ 英語圏のユーザーにとってもnoteの利用価値が出てくるかもしれない。

noteさんにとってのメリット

④ ユーザーメリットの①を目当てに集まる新たなnoteユーザーの獲得。

⑤ CCライセンスで指定された範囲内であれば、原作者に連絡をとって許可を得る必要がないため、クリエーター間のコラボレーションのハードルが下がり、コラボレーションが活発になる。コラボレーション作品の増加によるnoteの投稿数の増加。

⑥ note内外での二次創作をすることを目当てに集まる新たなnoteユーザーの獲得。

⑦ 日本語利用者以外のnoteユーザーの獲得。

その一方でデメリットも考えられます。

考えられるデメリット

⑧ CCライセンスの種類が多いので、ユーザーが混乱する。そういう時は、まずはCC

ライセンスをつけないのでおく(完全な著作権保持)のが良いと考えられますね。

⑨ 原作者が意に沿わないCCライセンスを付与してしまい、意に沿わない利用の仕方をされてしまう。基本的にCCライセンスは取り消せない(6種類のうち、より自由度の高い方へ変更することは問題ない)というか、取り消しても以前の情報に基づいて二次利用する人を簡単には止められない、という問題があります。

⑩ noteユーザーでなくても作品の利用ができるとなれば、二次利用を目的にnoteユーザーになるメリットは限定的? → note用にCCを最適化する必要があるか? 例えばYouTubeでは、ユーザーがつけられるCCの種類を限定しています。Note内への投稿については、人の投稿を転載して紹介するだけ、の投稿が増えすぎるとユーザー体験が悪化すると考えられるので、そのようなものは規制すべきかも。またnoteに原作がある作品を二次利用した作品はnoteで公開されるとは限らない。YouTubeやMediumなどnoteの外部で公開される可能性がある。

逆に、実験は成功したが、「CCライセンスの効果は確認できなかった」「もしくは効果がないことが確認できた」という場合は、これらのメリットもデメリットも発生しないでしょう。

もしnoteさんがこの実験を主導するとしたら、実験に参加したいユーザー、CCライセンスを付与したい作品を募集し、その中からランダムに選んだ作品に実際CCライセンスを付与し、そうでない作品とその後の経過を比較する(残りの作品は時間差でCCライセンスを付与しても良い)などの、より厳密な形での実験を行うこともできます。

実験のタイミング

コロナ禍により、映像制作会社などの組織としてのクリエイティブ産業が十分に機能せず、コンテンツ不足に陥りがちな今の時期だからこそ、個人のクリエイターが躍進するチャンスかもしれませんし、このような実験も成功しやすいかもしれません。

4月27日、ワンメディアCEOの明石ガクト氏は、withコロナ時代の動画に起きるシフトとして、「制作会社→個人クリエイター」、「中央集権型→分散型」など11の変化を予言しました(【明石ガクト】これから動画に起きる11の変化)。

「自分の物語」の時代

評論家の宇野常寛さんは、21世紀を「『自分の物語』が台頭する時代」と位置付けています(宇野常寛『遅いインターネット』幻冬舎、2020年)。


活版印刷の時代から映像の世紀に至るまで、人類社会では「他人の物語」を享受することによって個人の内面が醸成され、そこから生まれた共同幻想を用いて社会を構成してきた。しかし、グローバル資本主義は共同幻想を用いずに、政治ではなく経済の力で、精神ではなく身体のレベルで世界をひとつにつなげてしまった。僕たちはこれまでのようには「他人の物語」を必要としなくなっているのだ。(『遅いインターネット』より)

他人の物語を消費する代わりに私たちはSNSに自分の物語を書き連ねるようになったと言えます。

コロナ禍は、幸か不幸かこの傾向を強化するでしょう。

noteは、間違いなくそんな今の時代にフィットしたサービスです。

氏は、グローバル化した情報化社会の中で、経済活動を通じて「世界に素手で触れる」感覚を持てない人々が、政治を通して「世界に素手で触れ」ようとした結果が、「2020年の東京オリンピックが象徴する平成という『失敗したプロジェクト』であり、「2016年のトランプ/ブレグジットが代表するグローバル資本主義に対するアレルギー反応の勝利」であったと指摘しました。

民主主義がもはや問題の解決にならない、というこの事態に対して彼は、

僕たちはどのようにして世界に素手で触れるべきなのか

あるいは

僕たちはどのようにして世界に素手で触れるという幻想を機能させるべきなのか

という問いを発します。

この実験によってnoteは、より多くの人たちに「世界に素手で触れる」機会を与えるプラットフォームに進化する可能性があるのではないでしょうか? その時私たちは「境界のない世界」に今よりも上手く適応することができるのかもしれません。

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