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【猪子寿之という天才】日々の掃き溜め No.68


『人類を前に進めたい チームラボと境界のない世界』という本を読んでいる。

言わずと知れたチームラボの猪子さんと、「PLANETS」の編集長の宇野さんの対談をまとめた本である。猪子さんという天才の頭の中を、宇野さんが見事に翻訳し昇華させている。作品を体感することが猪子さんを理解する一番早い手段だと思うが、宇野さんのおかげでいつでもどこでも、猪子さんの頭の中を覗くことができる1冊だ。

前12チャプターで現在チャプター5まで読んでいるが、これがめちゃくちゃ面白い。ゲームについて考えるうえで様々な学びがある。

例えば、「他者」との関わり合いについて。文明が高度化していくにつれて、「他者」は「不快」なものという前提が出来ていった。「他者」はコントロールできず理解もできないがゆえに「不快」であり、他者の存在をちゃんと受け止めてあげられるのが「成熟した人間」である、という考えが一般的になっていった。

そして、不快な他者をちゃんと受け入れるには意志が必要で、それはシリコンバレーを中心としたアメリカ西海岸から始まった「個人の拡張」へとつながる。例えば、PCは脳の拡張、Twitterは個人の発言の拡張、Facebookは個人の人間関係の拡張。

個人をより強くする装置を生み出すことで、不快な他者を受け入れる体制を作っていた。

しかし、猪子さんはデジタルを使うことで、「他者」を「快いもの」に変えられると信じており、それを作品で体現している。例えば、『花と人』という作品。自分の意志がなくとも、ただそこにいるだけで足元から花が咲き、他人の足元からも花が咲く。自分も他者もその作品の一部であり、お互いが作品をより美しいものにしている。

その空間では、他者は決して不快なものではなく、世界を美しくしてくれる存在。自然と共生できる存在だ。

昔の棚田のように、本来人間は互いに共生してきた生き物である。他者の存在なくしては生きていけなかったし、日本に「お互い様」という言葉があるように、そこには境界線は無かった。

しかし、文明が発達していくにつれて次第に境界線が出来ていき、境界線が出来るということは線の向こう側にある存在を自分とは異なるものだと認識しているということだ。

猪子さんは、作品を通して、境界線の無い本来の世界を取り戻そうとしている。なぜなら、そっちの方が美しいからだ。


僕もまだ50%ほどしか理解できていないと思うので、上記の理解も異なるかもしれない。

ただ、1つだけ明確に言えることは、猪子さんの見ている世界は美しい。僕もその世界が見てみたいし、そういう世界になる手助けを、ゲームを通してしたいと思う。

お時間ある方は、ぜひ読んでみてほしい。

最後にもう一回リンクをどうぞ。

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本日も読んでいただきありがとうございます。

では!

西川恭平


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