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「新しいとは、こういうことさ」

1年前に制作した映画「白い鳥」(50分)の劇場公開版「見えない鳥は、アートを渡る」(約100分)を絶賛制作中である。

当初の予定では、去年末にはできているはずだったのですが、まあそう簡単にはいかないものですね。共同監督である三好(大輔)くんと、なんとか他の仕事をテキパキと片付け、時にあちこちにどかし、時間をかきあつめ、どちらかの家に集まっては、ああでもない、こうでもないといいながら、再編集やら細部のツメが続いている。


この間の朝は、三好くんとその時の最終編集版を見ていて、うん、これでいい!と思ったけれど、その二日後にはちょっとわからなくなった。この「わからない」という感覚はたぶんずっと消えないままだろう。


作品制作は決断の連続である。100分という箱の中に、どのシーンを入れて、どのシーンを削るのか。誰を見せて、誰を見せないのか。空は青いのか曇りなのか。ささやくように小さい声をなのか、大きく元気な声なのか。音楽はいるのか、いらないのか。

自分たちは何を見せないのか。
そして人は映画の中に何を見たいのか。

すべては正解がない世界なので、自分たちは常に決断していかないといけないが、どうやっても大いに迷う。迷いながら進んでいくことしかできない。
それでも終わりには近づいて予感はする。


先週は、マラソンで言えばゴールテープは見えないけど、スタジアムが見えたと思った。苦しくも楽しい時間である。

ここまできたら、ということで、いまはスタッフはもちろん、色々な外部の映画関係者や映画の世界に近しい人たちに仮編集版を見てもらっていて、意見をもらっている。というのも、まだ正式に配給会社が決まっていないという事情もある。だから色々な人に見てもらうわけだ。

だいたいの人は、意見をくれる。
あのシーンはよかった。
この構成はよかった。
あの部分は長すぎる。
眠くなった。
あそこは美しかった。
もっとインタビューがあったほうがいい。
少ないほうがいい。。。

とまあ、その意見の内容がまあ見事にバラけているのだった。いい部分も足りないと感じる部分も見事にばらけている。
ふーむ、なるほど!!
最初は、ひとつひとつの意見ととてもシリアスに捉えていたが、こうなってくると、その多様な意見の何を取捨選択するのかは自分次第。最終的に言えるのは自分を信じることしかできないんだなということだった。


そんななかで、昨日の朝、届いた熱風最新号を読んでいた。
熱風の中に「アニメ『てにをは』事始め』(石曽根正勝さん)という連載がある。新しくアニメを見るための視点を提供するという、めちゃくちゃ技術的な連載なのだが、私はこの連載がとにかく好きだ。それが次号で最終回だというので、わーん、まじか!と寂しい気持ちで、今回の連載を読んでいた。すると、最後の方にこんな記述が。それは「もののけ姫」についてである。


長いけど抜粋したい。
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あれほどの難産だった「もののけ姫」は、公開されるや大ヒットで、宮崎駿の更なる快進撃を告げる作品になったわけですが、しかしスタッフだけに見せる完成したてのフィルム試写が終わったとっき、客席を立ってロビーに三々五々散らばったそのスタッフたちの表情は、一様に重苦しいものでした。不安そうで、言葉少なで、これでよかったのかな?という顔でお互いの反応を探っていた様子を私はよく覚えています。


のちに観客の手にゆだねられたとき、物語上の傷や矛盾が多いこの作品は、むしろ難解な作品として積極的に評価され、物語の整合成をみつけようと何度も上げ劇場へ足を運ぶ熱狂的なファンに迎えられることになりました。


しかし、2年間作り手として関わったスタッフたちは、その年月と苦労に見合うものを試写で見出せず、戸惑っていたのです。(中略)本当の「新しさ」はときにこのように、迷いや戸惑いをもたらすものだったりするのでした。あのロビーに集っていたスタッフの表情を思い出しながら、ただこう思うのです。「新しいとは、こういうことさ」と。
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いやー、これはむちゃくちゃ心が動かされた。
ここで、別に自分たちの作品が「新しい」といいたいわけではない。
ただ、あれほどの記録を打ち立てたレジェンド的な作品が生まれるにあたり、一緒にやってきたスタッフにすら、いますぐ簡単にすぐに理解されなくてもいい、それでいいんだ、と思い切れる強さに感動してしまう。


これは映画だけじゃなくて、本にも言えることだ。
原稿が「わかりにくい」。これはよく編集者からもらうコメントのひとつだ。「読者がついてこれない」という言い回しもある。でも、いいやって思える強さが欲しいと思う。
わかりやすいストーリーじゃなくても、涙を流したり、感動したりさせられなくても、私自身がいいと思うものをただ世に送り出す強さを持ち続けていたい。

私が11年前に初めて「パリでメシを食う。」を出した時も、多くの出版社に「売れない」「出せない」と言われ続けていた。
今回の映画は実際に映画館にかかるのかまだわからない(いや、もちろんかかると信じているけど)、というふわっとした状況にあるせかいか、あの時のこと最近をしきりに思い出す。

当時、自分はなんでわかってくれないんだろう、こんなに面白いのに!という悔しさの方が大きかった。(あの根拠のない自信はなんだったのだろうか笑)。

しかし、本はのちに出版が決まって実際に本屋さんに本は並んだ。そしてあの本は4万人近い人に読まれることになった。2010年7月10日のことだった。
そう思うと、常に過去の自分は未来の自分を助けてくれる。過去からの道はずっと続いているのだ。

映画にも本にも出て来る白鳥さんとホシノさん

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