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勝手にロックダウン日記 ペーパードライバー卒業?

勝手にロックダウンをはじめて8週間。電車にも乗らず、カフェにもほぼ行かず(2度だけ)、やたらと散歩し、レゴをしまくり、映画やドラマを見て、料理をして、なんとか日々をやりすごしているうちに、気がつけば緊急事態宣言が解除されていた。給付金も届かないままに緊急事態が終わるってなんだかすごくないか。想像を超えた空前絶後のスピード感だ。

保育園も6月1日から再開されるとのこと。このまま保育園もいかせずに、朝もゆっくりして、ぼやっと過ごすのもやたら魅力的だが、いい加減におうち遊びもマンネリ化が激しいし、それよりも、もうちょっと仕事をしないと生活は破綻一直線だ。ということで、この一週間は比較的一生懸命働いた。エッセイを2本描き、「バウルを探して 完全版」の念校を全て戻した。すごいぞ。ほんとに出るぞ、この本!(解説は詩人の若松英輔さんです)

この8週間、イオくんは主に料理とお菓子作りに邁進していた。
この間ちょっと感動したのは、ステーキを焼いてくれたとき。彼はステーキがそこまで好きではない。好きなのは私だ。「ああ、おいしいステーキが食べたいよう!!!」という叫びに応え、イオくんはいい目の肉を買って焼いてくれた(しかも半額セール中だった、ブラボー)。しかも、その肉塊が「小さいけど高い」ものだった。以前の彼ならば間違いなく「安いけどデカい」方を選んでいたと思う。ブラボー。なんか彼もこのロックダウン中に41歳の誕生日を迎え、ちょっと大人になったような気がする。

そして昨日ものらねこ軍団のクッキーを焼き、今朝は炊飯器を駆使してパンを焼いた。いったい何を目指そうとしているのかはわかないが、美味しいものを作れるようになることはいいことだ。

私はほとんど何も進化していない。仕事はあまりしなかったので、原稿執筆能力も退化したし、本もあまり読めなかったので、知識教養も増えなかった。しかし、たった一つだけできるようになったものがある。

それは運転である。いや、日本での運転だ。

もともと私はアメリカで免許を取り、それを日本とEUの免許に書き換えてクルマに乗っていた。しかし、アメリカとヨーロッパの運転に慣れすぎていたので、日本の右ハンドル&左側通行は恐ろしくて仕方がなく、17年前に日本の免許(外国人用の一発試験だ)を取って以来、日本では合計30分も運転したことがなく、運転はIくんに全面的に任せていた。(海外のみ私が担当)

しかし、この緊急事態宣言中にイオくんの免許の更新日がやってきたのだが、免許センターがしまっていて更新できなかったらしい。そして、去る日曜日にクルマで神奈川に行く用事があったのだが、その朝に免許問題にハッと気づきいた。イオくんは「大変だ!今日はあっちゃんが運転して!」と言う。

ひええええええ!私が家族の命を預かるの!? 17年間で30分しか日本の道路を経験してないあたしが? 無理でしょ、そんなの。

私の緊張がダイレクトに伝わったのか、レンタカー屋のおねえさんが「クルマを道路上で走行させたことはありますか」という謎の質問をしてきた。私は「ええ、いちおう」と答えた(ウソじゃない)。もちろん実践経験はほぼゼロ、というのは言わなかった。

しかし、必要は発明の母である。いや使いかた違うよね。じゃあ、案ずるより生むが易し?とにかくやってみたところ、日本の道路は、ノールール系のパリや、無秩序系の台湾(去年500キロくらい走った)に比べたらはるかに秩序立っていて運転しやすい様子だ。

私のようなドライバーの場合、一番危険なのはなんといっても逆走である。私はとにかく「左側通行、左側通行、左側通行、左側通行おおお!!!!」と呪文のように唱えながら運転を続けた。そして、最初の20分こそどうも車が左に寄りすぎてしまう、という問題が生じたが、目指す場所の「10センチ右を運転しよう!」と決めてからはなかなかうまくいき、高速に乗るとあとはまっすぐ進めばいいだけなので精神状態はやや安定した。しかし、鉄の心臓なのはイオくんである。このような危険なドライバーの車に同情しているにも関わらず、スヤスヤと寝はじめているではないか。私は思わず「おーい、起きろ!絶対寝ちゃだめ!!あなたは私の運転をみはる係!!」と念を押し続けた。

そして、なんとなんと、神奈川県まで行って戻ってくることができた。すごいぞ。期せずしてペーパードライバーを卒業じゃないか!まさに緊急事態宣言中ならではの出来事であろう。

🚗🚗🚗

昨夜は、娘に「もうすぐ保育園だね。たまちゃん(娘がめちゃくちゃ大好きな友達)に会えるね」と行ったところ、「やったー!ナナねえ、お風呂入ったらすぐねる!そうすれば早くたまちゃん会えるもん!」と言い、張り切って一人で布団に入り、そして一人で寝てしまった。娘がこうして一人で寝るのは実はこれが初めて。こちらもまた画期的なできごとだった。

6月1日以降、娘が保育園にいきはじめたら、いちおう川内家のロックダウンライフはいち段落。つぎのフェーズとしてはやや緩めのロックダウンになるだろう。

そしたら、この日記も終わる……のかな?
いや、もう少し続けるか。そうだね。
コロナ収束したわけじゃないしね。
まあ、もうちょっとお付き合いください。

写真は今日読み終わった村井理子さんの「兄の終い」。





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