勝手にロックダウン日記 死者はオンラインに来るのか (5/17)
昨日は父の15回目の命日だった。
普段は、家族で夕飯でも食べて終わり、っていう感じなんだけど、今年は「晴れたら空に骨まいて」文庫版に父のことを書いたこので、妹が「一つの区切りになったねえ」とちょっと感慨深く言い、せっかくなのでなにかしたいね、ということになった。
とはいえ、今はコロナなので、実際に集まるのはまだ難しい。
「なんかさみしいね......」と妹が意気消沈気味に言うので、「じゃあ、オンラインでやろうか」と言うと、「うん!」という展開に。
妹が「寅幸オンライン法事」というzoomイベントを立ち上げた。招待したのは、13年前に散骨に参加してくれた友人たちだ。
あの時、わざわざ最果て感が強い福井県の大島半島まできてくれた友人たちは、いまでもとてもいい友人である。声をかけると、みんな「わーい、楽しみ!」「いろいろ思い出しとく!」「語ろう!」「飲もう!」という反応だった。
とはいえ、ただダベるだけではオンライン飲み会と変わらないので、二つの余興を準備。
余興その1。散骨の時の写真をみんなで見るというもの。カメラマンの友人のアサコ(スズキアサコさん)がとってくれた写真だ。アサコは一時期うちの父と同じ空間にあった妹の会社で働いていたこともあり、父のことをよーく知っている友人のひとりだ。
そうして、オンラインで集まりつつ、カンパイし、お酒を飲み、13年ぶりに写真を見てびっくりした。
(新幹線で福井に向かうみんな)
おおーーーーー!!
なんてきれいなんだ!
そしてなんて楽しそうなんだ。
父の故郷は本当に美しいところなのだ。
そして、散骨の日も、海は最高に綺麗だった。
そして、散骨が終わったあとは、飲んだり、食べたり、歌ったり、泳いだり、踊ったり。
こんなに賑やかで面白い見送り方をしたのかあ、と改めて嬉しくなった。
そして、写真をみんなで見ていると、忘れていたことをどんどん思い出した。その時、友人の一人が失恋の直後だったことや、別の友人が就職に向けて猛勉強していたことなど。
本を書いていた時は全然思い出せなかった事実が記憶の襞から出現し、ああ、あれもこれも本にかいとけばよかったなあ、と小さく後悔しつつ、楽しく写真を見終わった。
次なるオンライン法事のハイライトは、二つ目の余興だ。
それは妹が発見したテープに録音してあった父のカラオケの音源を聞くと言うもの。曲は『兄弟船』と『イビヨル』。
死者の声を聞く。それはやや奇妙なことで、私は一抹のためらいがあった。理由はわからないけど、なんだか聞かない方が良い気さえしだ。聞いたら平常心ではいられないかもしれないし、みんな本当にこんなものを聞きたいのだろうかと思ったたのだ。しかし、まあそこは、散骨するために福井まで来たハードコアなメンバーである。とりあえず1分でも聞いてみようよ!!と妹が明るくいい、最初の曲が流れ出した。
わわ!
その歌声を聞いて、これまたびっくりした。15年ぶりに聞いた父の声は、記憶の中の声と100%一致した。もう0.1%もズレがなかった。
うわあ、全く同じ声! トラユキだわ!
妙に感動した。視覚情報はどんどん忘れていくのに、聴覚情報はどこか特別な場所に格納されているのかもしれない。私が普段頭のなかで再生している死者たちの声は、デフォルメされたものなんかじゃなく、本当に聞こえていた当時の声のまんまだった。それが嬉しかった。
そんなわけで、お酒を飲みなたら90分。久々に聞いた友人たちの声や想い出話の連続にオンライン法事は大いに盛り上がり、またいつかみんなで福井に行こうね、といって幕を閉じた。
そうなんだよな。
死者というのは、死んでさよなら、永遠におしまい、ではない。死者たちは、生きている人の会話や記憶の中でずっと生き続ける。そうして、死者は生者たちの間に新しい想い出を作り続けてくれる。だからこそ、私たちは時折、死者たちについて語り合う必要がある。
死者がオンライン上まで来てくれるのかはわからない。でも、形式はなんでも良いのだ。三回忌とか十三回忌とかも関係なく、自分たちが良いと思ったタイミングで、良いと思った方法で弔いをひらけばいい。
本の中にも書いたが、かつての人々は火を囲みながら話をし、その人を思いながらあの世に見送った。
いまの私たちは火の周りを囲むことはできない。でも、オンラインで集まって輪を作ることはできる。
そんな仲間同士の「輪」は途切れないということを歌ったのが本にも出てくる「will the circle be unbroken」である。(とても明るい歌だから、ちょっと聞いてみてほしい)
実は、昨日までずっと忘れていたけれど、父の葬儀のあと、私たち家族は香典の一部を使って「海をわたるアート」という任意団体を作った。そうして、2010年にその資金をもとに、9組のアーティストの作品を携えてパリに向かい、「夜の庭」という結構なスケールの企画展示を行った。
http://www.move-move.com/midnight/index.html
それが、多くの出会いを生み出し、今の山小屋というギャラリー活動に繋がった。
死者は生き続けている。
私たちの記憶のなかで。
いや、すぐ傍で。
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