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母と娘といわきの物語 (若草物語へのオマージュ)

もうすぐ4歳になる娘がいる。
なぜだかわからないが、若い時から私は「娘」を持つイメージしか持てなかった。だから、妊娠中にお医者さんに「女の子ですよ!」と言われた時に、「おお、そうか、やっぱりな」としか思わなかった。

好きな文学作品もなぜか昔から、「母と娘」ものが多かった。

なかでも「若草物語」は特別だ。マーチ家の四人姉妹メグ、ジョー、ベス、エイミー。4人の個性的な姉妹の群像劇は、何度読んでも飽きなかった。

若草物語を教えてくれたのは、母の父、つまりおじいちゃんである。

母は阿武隈山脈の麓にある上遠野(現在いわき市)という集落に生まれた。こどもの頃の私は、母の少女時代の話を聞くのが好きだったのだが、母の少女時代というのは戦争直後であっためか、どんなエピソードも「あの頃は本当に貧乏でね・・・」という枕詞で始まった。

「おもちゃと言えば、まりが一個しかかえなくて......   」
「結核になって学校を1年休んでしまって......   」

そんな話なのに、なぜだか聞くとワクワクするのだ。

物心ついたころには、母の実家にもよく行くようになった。大きな茅葺き屋根の家で、いつでも庭先には牛の匂いが漂っていた。祖父は読書家で、ある日読み終えた本を「よら、読んでごらん。面白いよ」と私にくれた。それが、若草物語だった。

へえ、85歳にもなったおじいちゃんが「若草物語」かあ! とびっくりした。読み始めるとすぐに、遠いアメリカに住む家族の世界に引き込まれた。四人姉妹と母。恋をしたり、結婚したり、病気になったり。特に自由奔放なジョーは私は惹かれた。
いいなあ、こんな風になりたいなー!
偶然なのかなんなのかジョーは、作家を目指していた。同じく、私も文章を書くことが好きだった。中学生になると、私も自然に物語を描き始めた。コバルト文庫が大好きで、SFや恋愛もの、学園ものと色々書いた。

祖父が自宅で静かに息をひきとったとき、私は高校生だった。もう92歳くらいだったので、大往生である。すぐに葬儀の準備をしようと親戚や近隣の人が集まってきて、大きな家はとても賑やになった。老衰だったので、湿っぽい雰囲気もあまりなく、大人たちがワイワイと料理をしているあいだ、私は祖父の部屋に潜り込み、大量の蔵書を読みふけった。祖父がなくなった悲しみよりも、ああ、おじいちゃんの部屋にずうっといたいなあ!と不謹慎なことを思ったものだ。

その日を境に、いわきからすっかり足が遠のいた。祖父がいなくなったいわきには用事がなくなってしまったのだ。そして、気がつけば25年間もいわきには足を踏み入れなかった。

そうしている間に、42歳で本当に娘が生まれた。娘がよちよちと歩き始めたころ、取材で「いわき回廊美術館」を訪れることになった。2015年の秋のことで、娘はまだゼロ歳だった。

不思議なもので、あれから娘を連れて、いわきに通い続けている。『空をゆく巨人』を書いている間に、いわきは本当に故郷のようになってしまった。

たまに、おじいちゃんの家のことも思い出す。

たくさんの本はあのあとどうなったんだろう。
他にはどんな本があったのだろう。

もし叶うならば、もう一度おじいちゃんの部屋に潜り込んで、思いっきり本を読みふけりたい、なんて思うのだ。



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