【17日目】然るべきとき叱るべき


February 24 2011, 6:41 AM by gowagowagorio

2月16日(水)

朝起きると、両腕の前腕部全体に鈍痛が籠っている。
骨の中心からずきずきと疼く感じだ。一瞬何事かと思ったが、そういえば昨日、マーシャルアーツのクラスに体験入学し、そこで組み手的な要領でいろんな人のハイキックを前腕部で受けたのだった。もちろんビギナークラスなので、全員素人に毛が生えた程度の人たちである。それでもこの痛み。プロのキックなら一発で両腕が枯れ木のように折れるだろう。

午後、学校から帰ったナツモが、キッチンに置いてあるレシピブックをおもむろに運んできた。おままごとでもするのかと見ていたが、どうもそうではないようだ。

「おとうちゃん、よんであげる」

そりゃ、どうも。
いつも寝る前に読み聞かせをしているお礼なのか、ナツモはそのレシピブックを開いて朗読を始めた。どうやら英語らしい。恐らく学校で読んでもらっているストーリーの覚えている部分をツギハギしたような内容なのだろう。時々聞こえてくる単語を拾って復唱すると、必ず発音を直されてしまう。

「サプライズ」「ちがう、surprise」「surprise」「そうそう」

といった具合に。そして、所々、自分で読んでいる内容に自分が受けている。

「○△■×%&$...だって。ひひひ、おもしろいねー」

こっちは何が面白いのかさっぱり解らず置き去りである。苦笑する一方で、すでに英語力でも置き去りにされかかっているという事実をヒシヒシと実感していた。ナツモの英語は文法こそまだ稚拙だが、そう思うのは僕の知っている範囲の、しかも大人がビジネスで使うようなセンテンスとボキャブラリーをベースにしているからであって、子供同士が交わすような、流れるような自然な会話は僕には理解できない。それはナツモの絵本を読んでいても感じることである。当然リスニングなんかは到底かなわないだろう。こちらに来る前は、日本語と英語がどっちつかずになるのではと心配していたが、今のところ見事に両立しているようだ。「おとうちゃん、もっちゃんに英語教えてもらおうかな」とうそぶくと「いいよー」とふたつ返事で快諾してくれるナツモ。

・・・などと仲良くやっていたのも束の間である。
今日、ナツモが生まれて以来初めて、本気でナツモを叱った。
ナツモが、スヌーピーのお絵描きの道具箱を癇癪を起こし、床に投げつけたのである。リビングにお絵描きの道具を広げたまま自分の部屋で遊んでいたため、エリサがそれをテキパキと片付けたのだが、ナツモ曰くまだ絵を描き終わっていなかったのだそうだ。理由はどうあれ、道具を投げつけたことはしっかり叱らねばならない年齢だ。僕が日本にいたときはそういう役回りはすべてアキコに任せていた。時々しか会わないとどうしても甘い顔になってしまい、怒りづらいというのもあった。しかし今は僕がやらなきゃ誰がやるんだという場面である。

などと意を決するまでもなく、ナツモの態度が火に油を注いでくれた。
最初は僕も抑えた言い方だった。ところがナツモは不満が収まらないのか、もう一度道具箱を持ち上げ、床に叩き付けたのである。把手が壊れ、中身が床にぶちまけられる。これには仏の僕も声を荒げた。

「バカヤロウ!こっち来い!」

泣きわめくナツモを玄関の外へ放り出す。ドアを叩き喚き続けるナツモ。すぐに開けてしまうと効果はない。5分は辛抱しなくては。そう思っていた矢先、泣き声がぴたりと止む。すると叱り慣れていない僕の方が途端に不安になってしまう。外へ飛び出していってしまったのではないだろうか。そっとドアを開けると、ナツモは床に突っ伏していた。仕方なく部屋に入れ、散乱した道具の前へ引きずっていき、説教をする。しかし、もっともらしいことを言えば言うほど、説明の付かない感情が自分の心に充満していく。

「なんで叱られてるのかわかってんのか?」
−−なんでおまえはそんなリッパなことが言えるんだ?

「みんなナツモに楽しく絵を描いて欲しくてクレヨンや絵の具をくれたんだろ?」
−−おまえはそんなに心を込めてナツモに道具を贈ったのか?

「道具を大切にできないヤツは絵を描く資格なんかない!」
−−おまえは道具を大切にしてるのか?

「みんな部屋はキレイにしておきたいんだから、まだ描き終わってないから汚いままにしておいてなんてのは通用しないんだぞ。そんなに散らかしておきたいなら、自分だけの家に一人で住め!」
−−おまえのウチはどうなんだ?

「これを片付けるまで一歩もここ動くなよ。それまでゴハンもなしだからな」
−−おまえは汚い部屋で平気でメシを食ってたんじゃないのか?

・・・ああ、これは恥ずかしいんだ。自分が。改めて文字にすると顔から火が出るほど恥ずかしい。下唇を剥き出して上目遣いに睨みつけてくるナツモの顔が、心の中で自問する声にシンクロする。これほどまでに叱るという行為が自分にキツいとは。今までアキコ任せにしていたことを心の隅で反省しながらも、引っ込みの付かない僕は怒鳴り続ける。涙と鼻水でグシャグシャになったナツモを置き去りにして、先に夕飯のテーブルに付く。ここまでボロカスに怒鳴られれば、さすがのナツモも堪えただろう。さて、ムチの後のアメのタイミングはいつにするべきか。

そんなことを考えていると、ナツモが意外なほどサッパリしたカオで食卓に付いた。

「片付けたのか?」

「ウン」

あまりの立ち直りの早さに拍子抜けである。
しかし、それならそれで、まだ甘い顔はしない方向で進めよう。新たにそう決心した食卓。僕は一切無駄口を叩かない。その様子に気づいたナツモは、色々と懐柔作戦に出てきた。

「もっちゃんのすぷーんで、さきにごはんとかれーいれていいよー」

「ふいてあげるよー、おとうちゃんのこぼしたやつ」

「ごはんたべおわったら、さーぴんのDVDみていいよー」

・・・やれやれ。叱られたことがあまり堪えていないのはまだしも、なぜ全て上から目線なのか。自身のあまりの威厳のなさに愕然としながら、「人としての器」とか「身の丈」について考えたのであった。

結局それが追い打ちとなり、僕はずっとムスッとしたままである。それでもナツモは「ごほんよんで」とせがんでくる。ムスッとしたままで読む子供向けの絵本ほどツラいものはない。何しろ、基本的に楽しいテンションで読むようにできているのだ。中でもナツモの大好きな「しまじろう」が一番ツラい。

「・・・ぼくうんちしたい。どうしたのかなしまじろう。だっていつものトイレとちがう。これは和式トイレだよ。さあ一緒にチャレンジだ・・・やった、でた。」

こんなものどうやってムスっとしたまま読めと言うのだ。明らかに奇妙なテンションの朗読をさして気に留める事もなく満足した様子のナツモはベッドへ。叱られたことだけは、しっかり覚えてくれているといいのだが。

ナツモが寝た後、こんどはミノリの出番だ。ミノリは「空腹」と「眠りたい」という二つの欲求が同時に襲ってくるとうまく感情をコントロールすることができない。毎日9時前後に受ける就寝前の授乳がまさにその状態となる。まずは哺乳瓶にがっつくように(最近では自ら哺乳瓶を抱え込んで)チクビを吸う。そのとき「空腹」のアラートは消えるのだが、その分「眠りたい」アラートが突然ミノリの中で膨張し、「ゔゔゔっ」と身を捩るように泣き出す。結果、うまくチクビが吸えなくなり、再びスタート地点へ戻る。見事な悪循環。なだめすかしながらなんとかチクビを吸わせ続けるうちに、ミノリはようやく睡魔のシッポを捕まえることに成功しゾーンに入っていくのである。

今夜には、頼りになる「飲み物」、アキコが帰還する。

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