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帆布を使った鞄のブランドを作ろう

バッグの製造と販売と卸

アリノハネではすでに、アリノハネドッグスという名の首輪専門店を2019年から動き出しているんですが、それはまた別に「安定的に材料が入る物を使ったブランドが欲しいな」と思っていたんです。

と言うのも、今回のコロナの影響で、一時イタリアの革が全く手に入らないという時期があって、これはどうしたら良いんだろかと色々と考えた結果、なんとか小さい革を手に入れることが出来たので一応は事無きを得たけど、これはちょっと今後のことを考えると不安だなってのもありました。

ただ、この帆布の鞄のブランドに関しては、6年くらい前だと思うけど、オーダーで帆布のバッグをいくつか作る機会があって、帆布という素材の良さもあるし、そのとき僕が倉敷に住んでいたこともあって、これは素材としてとても良いものだなと思うようになりました。
なんだか感覚的に言えば、「革に近い布」という感じ。
合皮のような、なんだろう、個人的にあまり好みじゃ無い雰囲気とは違い、帆布というその真っ向勝負な頑丈さは見上げたもんだなウハハっていうあの質感がとても良いよなと思っていたんです。

自分の祖先とも関わりがあった

僕が美唄に移住したのが2018年だったんだけど、それまで美唄(びばい)で知っているものと言えば「たぶん、焼き鳥が美味かった」ってのと、「なんか廃校を使った美術館みたいなのがあるんじゃなかったっけ? それは砂川だっけ?」といった程度のものしかなく、つまり「何も知らない」って状況だったんですが、その地で家を借りて住むようになってから、親父に「そういえば言ったと思うけど、お前の大伯父が美唄の炭鉱で働いてたんだぞ」という話を聞き、まじか、じゃあ自分が見ているこの景色の一部を大伯父も見てたんか、はぁと思い、そこで一気に美唄という土地が自分にとって身近な存在だったことに気付きました。

トートバッグと炭鉱夫の関係

たまたま何について調べていたのか忘れてしまったんだけど、とりあえず炭鉱夫についてを何やら色々と調べていたときに、トートバッグについての記事をどこかで読みました。

それにはこう書かれてあったんです。

「諸説あるが、現在普及しているトートバッグの原型は、元は炭鉱夫たちが石炭を入れる大きくて丈夫な袋からヒントを得て作られたものだった」

「うわ、まーじか」と小さく言いました。たぶん、言いました。

ここから先のことは、またちょいちょい小出しにしていけたらと思っていますが、とにかくそんな小さなきっかけからのブランドの立ち上げとなりそうです。

自分の店で売るだけではなく、他のルートも見つかりそうなお話を頂いているので、しばらくの間は洋裁について自分なりに調べながら、新しい作品作りに入っていくことになりそうです。

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