それでも無性にnoteを書きたくなる
つい最近、自前のブログに上の記事を書いておきながら、こんなタイトルでnoteに投稿してるんだから、我ながら結構な手のひらクルーである。英国もビックリの二枚舌制作。もとい政策。
今でもブログに書いたnoteの「アウトプットストックへの向かなさ」に対する残念感というか、口惜しさの感情は変わってない。もっとストック型のプラットフォームになったらなぁと思う。でもそれは多分ないものねだりで、noteの目指すコンセプトはそこじゃないのかなと。
そんなことを思いながらも、無性にnoteに文を書き付けたくなることがある。それをなんでか考えてみた。
やっぱ洗練されたデザインが好き
第一はやっぱコレかなと。このシンプルなデザインが自分の感性にピッタリあってて単純に好きなんだと思う。
文房具のノートでも、お気に入りのデザインやちょっといい手触りのモノを買ったりすると、意味もなく触ったり開いたりしたくなるじゃないですか?noteはまさにそれ。
今はもうやってないけど、はじめてiPhoneを買ったときかったぱしから人気のアプリやオススメされているアプリをインストールしていた時期があった。
アプリの評価軸としては、機能性、インターフェイスや斬新さはもちろんだけど、わたし含め多くのレビューアーが気にしてたのは、アプリアイコンのデザイン。
「思わずペロペロしたくなるような、かわいいアイコン」これがめちゃくちゃ重要だった。noteはその「ペロペロしたくなる」感をも持ってる。あれ?「ペロペロ」ってもしかして死語?
文章論・アウトプット論の記事が多い
noteはクリエイターのためのプラットフォームだけあって、文章論やアウトプット論の記事がめちゃくちゃ多い気がする。
しかも収益化を前提とした「SEO対策」や「キーワードの入れ方」といったテクニック系の内容じゃなくて、「どうしたら読み手に伝わるか」「なぜ書くのか」みたいな堅めの文章論・アウトプット論が多い。
この手の記事が大好物なわたしとしては、ついつい読みふけってしまう。そうすると「うぉー!おれもなんか書くぞ!アウトプット吐くぞぉぉお!」ってなって気持ちがアガる。それもnoteに書きたくなる理由のひとつ。
ストック性を求めようがフロー性を求めようが、結局書かなきゃゼロ
んで今回のオチというか、教訓というか、自戒というか。
前述したブログの記事では「アウトプットの蓄積を主目的」なんてのたまっているけれど、そもそも書かないことには、ストック性vsフロー性の議論なんて無駄だったりする。
noteのデザインが好きでほぼ毎日開く。色んな人の文章論・アウトプット論の記事を読んで、気持ちがアガる。書きたい衝動にほぼ駆られる。
でも、この投稿はnoteのなかではほぼ1ヶ月ぶり。はてなブログの方も最後の投稿は2週間前。結局いくら他人のアウトプットを栄養ドリンク的に消費しても、あんまり意味がなく、まずは自分が吐き出さないといけないんですよね。
noteのほうが書くハードルは低いから、まずは衝動に身を任せて、とにかく書きたいことを書こうかな。
参考図書
自分が「勉強ばっかりしてないで、アウトプットしなきゃ意味ないんだなぁ」って思えるようになった本。オススメ。
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