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わたしはいつからハマれなくなったのか

 「好きなことをやれ!」「やりたいことに全力をそそげ!」そんなお言葉がどこもかしこもあふれてる気がする。

 『多動力』でも有名なホリエモンこと堀江貴文氏も「長期的な目標なんかいらないから、好きなことに猿のようにハマれ!」と著書の中で語っている。

 自分にもやりたいことありますよ。実際やってるし。プログラミングを勉強したり、TOEICでハイスコアとるために英語勉強したり、人生で一度、人前でライブしてみたいから憧れていたベース始めて練習したり、noteを書いたり。哲学だって勉強したいし、観ておきたい映画だっていっぱいある。

 でもなんか、どうしてもそれらが「やりたいこと」から「やらなきゃいけない」ことになってる感がここ数年強い。なんでだろ。別に誰に強制されたわけじゃないし、自分が好きではじめたことばかりなのに。 

 昔はこんなんじゃなかった。中学生の頃『新世紀エヴァンゲリオン』にハマったときも、車で30分かかるレンタルビデオ屋に毎日連れってもらい狂ったように観まくった。一回観て返すのは勿体無いからって同じ話を最低5回は観てたし、次の話を観るのが楽しみでしょうがなかった。個人の考察サイトも徘徊しまくった。

 伊坂幸太郎の小説にハマってたときも、新刊が出るたびに書店に走って発売日当日に買ってた。あの頃は積ん読なんてあり得ないって思ってた。

 今はちがう。『ふしぎの海のナディア』がPrime Videoで配信されるらしいから観てみるか、と思いたっても、3日に1話観ればいいほう。きっと同じ話をもう1回見る可能性は限りなく低いだろう。

 本も買ったけど読んでない本なんて紙、電子合わせて100冊を軽く超える。

 いつから自分の「やってみたい」はこんなに熱量の少ない、義務的な感情になってしまったのか。

 こういう話をすると、「熱中できないってことは、そもそもやりたいって気持ちがその程度なんじゃないの?」って言ってくる人が少なからずいるけれど、そうじゃないんだよね。それを言われると自分の今持ってる「やりたいこと」は軒並み「その程度のモノ」になりさがっちゃう。それは認めたくない。

 思うに昔は「やりたいこと」があっても実際にやれることは少なかった。だから手がつくことに集中できて、ハマれた。今は、だいたいのことは簡単にやれてしまう。そうすると「あれもこれも」で結局中途半端になってしまう。

 あとは、そのことについてネットで簡単に調べられてしまうのもひとつの原因なのかなと思う。「どうすれば効率よくできるか?」とか「どのやり方がいいか?」とか「なにが面白いのか?」とかやる前から余計な情報を仕入れちゃったりする。そうすると本来の「やりたい」って気持ちより余計な情報のほうが重たくなってしまって、ハマれなかったりする。

 意識の高いSNS界隈では、グレッグ マキューン『エッセンシャル思考』が名著として紹介されることが多い。あれはあれでおっしゃるとおりという感じだったのだが、わたしの場合「じゃあ何かひとつに絞らないと」ってそこでまた義務感ぽくなっちゃう。

 ハマるってそんなんじゃなかったような。そんな打算的でも、戦略的でもなく、気がつけば時間を忘れて夢中でやっている状態だったような。

 その頃にはもう戻れないのだろうか。


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